改訂新版 世界大百科事典 「パーティ」の意味・わかりやすい解説
パーティ
party
パーティという英語には,(1)政党,党派,(2)ある目的のために集まった一行,仲間,(3)社交的な集り,などの意がある。しかし日本では,登山のパーティなど(2)の用法もあるが,もっぱら(3)の意で用いられる。それは,クリスマス・パーティ,結婚披露パーティ,誕生パーティのように生活暦の節目に催されるものもあるが,これとはまったく無関係に飲食・遊興を共にすることを目的に開かれることが多い。《不思議の国のアリス》(1865)で帽子屋と三月兎とヤマネのティー・パーティにアリスが闖入(ちんにゆう)してしかられたように,パーティは基本的には私的な場に招き招かれるものである。また,社会的流動性が高いアメリカの場合のように,新参者を招いて交際範囲を広げることを主たる目的とする場合もある。《ウェスト・サイド物語》(1957初演)におけるダンス・パーティのように,パーティは見知らぬトニーとマリアとの出会いの場でもある。
パーティの起源は古い歴史をもつ宴会に求められ,日本を含む世界の諸民族に類似の現象をみることができる。しかし,社交的な集りとしてのパーティの語が定着するのは,18世紀初め(《オックスフォード英語辞典》の初出例は1716年)以降のイギリスで,日本では明治以降,ことに第2次大戦後日常用語として定着した。この項目では,パーティが生活文化の一部として定着した19世紀イギリスについて記述し,パーティの諸側面をながめてみることにする。
19世紀のイギリスでは,ディナー・パーティ(晩餐会)が社会的威信を示すシンボルとなり,上流・中流階級の人々は競ってパーティを開き,それに伴い種々の作法が定められた。招かれた客は通常男女のペアに組み合わされ,紳士は婦人の手をとってダイニング・ルームの定められた席に導く。男女の組合せ,席順の決定はホステスの仕事で,客が雇用している召使の数に応じて席の序列を決めたという話もある。食事がすむと婦人たちがまずドローイング・ルームに退き,その間紳士はポートワインを飲みながらおしゃべりし,ホストの招きで婦人たちに加わる。フランス革命後,ソアイエAlexis Benoît Soyerのようなフランス人シェフの移住が増し,彼らがディナー・パーティに腕をふるった。料理を一度にテーブルに出さずに順を追って供するフランス風の食べ方や,フランス料理やワインが,パーティを通じてイギリスの上流・中流階級の間に広まった。貴族の大パーティともなると,名士のスピーチとともに食事のメニューが翌日の新聞にのることもあった。ディナー・パーティほど豪華ではないが,19世紀後半にはティー・パーティもしばしば開かれた。1833年以降の中国茶輸入の自由化,それにつづくインド茶の輸入開始によって,紅茶はイギリス人一般の生活の一部となり,さらに夕食時間がしだいに遅くなるにつれて,午後4時ころのティータイムの慣習が生まれた。この時間に合わせて客を招き,紅茶とサンドイッチやケーキ,クッキーなどの軽食を供するのがティー・パーティである。19世紀後半の上流階級の間では,夏に催されるガーデン・パーティ(園遊会)も人気があり,飲食のみならず,しばしばクロッケーやアーチェリーなどの女性も参加できる〈上品な〉スポーツを伴った。ニュージーランド生れではあるが,K.マンスフィールドの《園遊会》(1922)に描かれているように,庭に大きなテントを張ったり楽隊を呼んだりもした。王室主催のバッキンガム宮殿のガーデン・パーティに招かれることは名士のあかしであった。19世紀におけるイギリスの,とくに都市生活に,豪華さの差こそあれ,パーティが社交の一形式として定着したのである。
飲食や遊興を共にすることによって,参会者は親密感を増し,仲間意識や特定集団への帰属意識を確認しあう点で,パーティは古代以来の宴会の伝統を踏まえたものである。しかし,宴会から徐々に抜け落ちた要素をみるとき,パーティの,そして近代以降の人と人との関係のある側面が明らかになろう。クリスマス・パーティのように年中行事と結びついたものもあるが,パーティと周期的な祝祭との関係は希薄であり,パーティは随時私的に催され,招かれる客も社会階層がほぼ同質である。ごちそうが供されるにしても,無礼講が伴うにしても,それは日常の生活,秩序の延長上にあり,価値観や地位の転倒はみられず,非日常性は弱い。また,かつての宴会において融合していた飲食,歌,踊りなどの要素も,パーティでは食事のみ,お茶のみ,踊りのみというぐあいに,その内容が分化する傾向もみられる。かつて宴会がもっていた祝祭性の喪失をパーティにみとることができよう。パーティにおいては宴会の前提となっていた共同体という基盤がゆらいでおり,そのため個々人が共同体の創出を試みるのである。パーティという言葉が,また実態が産業革命の前夜から盛期にかけてのイギリスに定着したことは,この時代が,農業中心の農村共同体のなかでの大家族中心の生活から,商工業中心の都市における核家族的家庭生活への移行期にあたっていたことと無関係ではないだろう。
→宴会 →社交
執筆者:山本 泰男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報