改訂新版 世界大百科事典 「ビルニュス」の意味・わかりやすい解説
ビルニュス
Vilnius
バルト海沿岸,リトアニア共和国の首都。ロシア語ではビリニュスVil'nyus。旧名ビルノWilno,ビルニャVilnia。人口54万(2005)。ベラルーシとの国境に近い共和国南東部,ネマン川支流ネリス川の河岸段丘とその上の丘陵に広がる。リトアニア大公ゲディミナスが1323年ころ築いた古都で,ゲディミナスの丘を中心とする旧市街と川沿いの新市街からなるが,水陸の交通の便にめぐまれ,とくに近年新しい工業(工作機械・器具,電気製品)が発展し,東部工業区の〈新ビルニャ〉や近郊の多くの住宅団地をかかえて共和国の主要な産業都市でもある。共和国の学術・文化の中心で,六つの高等教育機関,五つの劇場,七つの博物館をもつが,1978年に400周年を祝ったビルニュス大学は,イエズス会の神学校が前身で,旧ソ連邦の大学で最も起源が古い。19世紀初めここで学んだポーランドの国民詩人ミツキエビチは,リトアニア人にも民族の誇りとされている。
リトアニア大公国の首都としてのビルニュスには,大公ヨガイラによるカトリックの国教化で1387年司教座が置かれ,ドイツ都市法による自治が認められた。16世紀に商工業が発展し,同時に東方におけるカトリック教会とポーランド文化の大中心地となり,ポーランド人とともにユダヤ人も多数来住し,18世紀後半にユダヤ教ハシディズムの一中心,ポーランド分割末期にコシチューシュコによる蜂起の一拠点となった。リトアニア人の農村にかこまれたこの都市の特異性は,第3次ポーランド分割でロシア領リトアニアの行政の中心になってからも変わらず,1830年と63年のポーランド反乱と19世紀末からのユダヤ人労働運動でその一中心となり,人口も1910年に53.6%をポーランド人,41.6%をユダヤ人が占めた。ロシア革命ののち,1918年ここでリトアニアの独立が宣言されたが,20年10月ポーランドがビルニュス地方を占領・併合して国際的にも大きな問題になった。39年9月ポーランド東半を占領したソ連邦の手でリトアニアに返されたが,40年の同国のソ連邦加入でリトアニア共和国の主都となった。41年6月~44年7月ヒトラーのドイツ軍に占領され,ユダヤ人の大半を含め15万人以上の市民が殺害ないし連行された。リトアニア系市民の人口比は,戦後59年に33.6%,70年に42.8%とふえ続けた。東西さまざまの文化の接点であったので,28のカトリック教会と七つの東方正教会,二つのプロテスタント教会,さらにモスクとシナゴーグが各々一つずつある。歴史的建造物には,ゲディミナス塔(14世紀),ジグムント1世の建てた城壁の門(16世紀),聖ニコライ,聖アンナなどの16世紀のゴシック教会,バロックの傑作たる聖ペテロ・パウロ教会などの17世紀の教会,18世紀のネオ・クラシックの司教座大聖堂と旧市庁舎(現在は美術館)などがあり,石垣の間に狭い迷路の続く旧市街のたたずまいや,西方28kmのトラカイの城などとともに,ここを有数の観光地にもしている。
執筆者:鳥山 成人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報