ビーアマン(読み)びーあまん(その他表記)Wolf Biermann

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビーアマン」の意味・わかりやすい解説

ビーアマン
びーあまん
Wolf Biermann
(1936― )

ドイツの詩人ユダヤ系ドイツ人。ハンブルクの労働者の家(両親は共産党員)に生まれ、父は反ナチ活動で逮捕、アウシュウィッツで殺害された。ギムナジウム(9年制の普通中等学校)在学中の1953年に、自ら進んで旧東ベルリンに転校、フンボルト大学在学中の57年から2年ほどベルリーナー・アンサンブル(国立劇場)で演出助手をつとめた。60年ごろから詩作を始めるが、詞に曲をつけ、ギターを手に聴衆に歌いかけるのが本領で、「歌づくり」を自称する。あるべき理想の姿に照らして現実の不備を指摘し欠陥を弾劾するその仕事は、政府の文化政策の実情と衝突して禁止措置を受けるケースも多く、ドイツ社会主義統一党への入党希望も実現しなかった。しかし彼の歌の愛好者は西にも広がり、64年には旧西ドイツの社会主義系学生組織の招待による演奏旅行が好評で、65年に第一詩集針金ハープ』が西ベルリンの出版社から刊行される。この内容や表現を不穏当とする東ドイツの政府や言論機関から作者への批判と非難のキャンペーンが展開され、その公開の場への出演、作品の国内での刊行、国外旅行のすべてが禁止される。この措置は以後11年間維持される。しかし作者の演奏活動は自宅や友人たちの私的な集まりで継続され、その録音レコードとなって発売され、詩集『マルクス・エンゲルスの舌で』(1968)、音楽つきの竜退治芝居『ドラ・ドラ』(1970)、ハイネの作品をモデルにつくられた長編詩『ドイツ――ひとつの冬物語』(1972)その他の作品が西の出版社から刊行された。76年11月に西ドイツの金属労働組合その他からの招待を受け、東の政府は出国許可を与えたが、ケルンでの最初のコンサートの盛況ぶりがテレビで中継放映された直後、公民権剥奪(はくだつ)と国外追放を発表した。この措置は東の心ある作家たちの強い反発と動揺を招くことになる。以後、ビーアマンは西ドイツに在住。自己の新たな立脚点を模索しながら、『プロイセンイカルス』(1978)、『さかさまの世界――それを見るのが好き』(1982)などの詩集や何点ものレコードを発売、社会問題にも発言し、96年にはCD『甘い生――苦い生』で17編の新しい歌を発表している。

[藤本淳雄]

『野村修訳『ヴォルフ・ビーアマン詩集』(1972・晶文社)』『野村修訳『ドイツ――ひとつの冬物語』(1974・訳者私家版)』『野村修著『ビーアマンは歌う』(1986・晶文社)』『DDR抒情詩アンソロジー編集委員会著『現代ドイツ詩集 東ドイツの詩人たち』(1991・三修社)』『ギュンター・グラス、ヴォルフ・ビーアマン他著、飯吉光夫編訳『ベルリン・レミニセンス』(1992・思潮社)』『野村修編著『ドイツの詩を読む』(1993・白水社)』『イツハク・カツェネルソン著、飛鳥井雅友・細見和之訳『滅ぼされたユダヤの民の歌(ヴォルフ・ビーアマンの「カツェネルソン伝」、西成彦の「論考」所収)』(1999・みすず書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビーアマン」の意味・わかりやすい解説

ビーアマン
Biermann, Wolf

[生]1936.11.15. ハンブルク
ドイツの詩人,劇作家。父親は強制収容所で殺された。 17歳のとき自由意志で東ドイツに移住,ブレヒトのもとで演出助手となる。 1963年共産党から除名。イデオロギーの虚偽に仮借のない批判を浴びせかけたため,65年発表禁止ならびに禁足。『針金のハープ・バラード・詩・リート』 Die Drahtharfe. Balladen,Gedichte,Lieder (1965) は西ドイツで出版。戯曲『ドラ・ドラ』 Der Dra-Dra (70) のミュンヘン上演をめぐって政治的波紋を巻起した。 76年西独ケルンでリサイタルを催したが,その辛辣な東ドイツ批判のため東ドイツ政府より市民権を剥奪された。この事件を契機に多くの作家,文化人が東ドイツを去った。

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