インド北部,ウッタル・プラデーシュ州アーグラ市の西約40kmの岩丘上にある〈勝利の市〉という意味の古城。ムガル朝のアクバル帝によって1569-74年に建設され,85年まで居城として用いられた。石材はほとんどが赤色砂岩で,構造は簡素であるが,細部に精緻な装飾彫刻を施している。城内には,宮殿,モスク,ミナレット,隊商宿(キャラバンサライ),墓廟,城門,タンク(貯水池)などがあり,地形の関係からそれらは統一ある配置になっていない。公私の謁見場であるディーワーン・イ・アームとディーワーン・イ・ハース,5層の楼台パンチ・マハル,ジャーミ・マスジド(モスク),聖者サリーム・チスティーの墓などが特に重要である。
執筆者:肥塚 隆
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インド,アーグラーの南西にあるムガル帝国の城砦で,1571年アクバルによって建設され,一時帝国の副都とされた。赤砂岩を主材とする各種の建物からなる壮大な王城で,柱などの文様にはヒンドゥー様式がかなり取り入れられており,アクバル時代の建造物の好例である。
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…ワーラーナシーの守護神シバをまつったビシュバナート寺院の西隣にイスラム教徒が礼拝に通うアウラングゼーブ・マスジド(モスク)があり,そのあたりを銃剣を持った警官が衝突防止の巡視をしている姿がしばしばみられる。しかし,たとえばアーグラ郊外の旧都ファテープル・シークリーのジャマー・マスジドにあるイスラム聖者の墓には,その聖者の祝福によりムガル朝のアクバル帝に子が授かったという故事にあやかろうと,宗教・宗派を問わず子宝を願う女性がおおぜい参拝にきているし,ビハール州のナーランダー仏教大学跡の北に立つ密教の摩利支天像を,ヒンドゥー教徒たちが平伏して拝んでいる。これらの事実が示唆するのは,聖地巡礼という行為が,大衆動員の旗印として歪曲利用されて対立抗争の要因の一つともなりうるが,根源的には宗教・宗派以前の原初的な信仰と神や聖者の祝福を得ようとする素朴な願いとに発しているということであろう。…
※「ファテープルシークリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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