フランキー堺(読み)フランキーサカイ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「フランキー堺」の解説

フランキー堺
フランキーサカイ


職業
俳優,ジャズ・ドラマー

肩書
大阪芸術大学教授

本名
堺 正俊

生年月日
昭和4年 2月13日

出生地
鹿児島県 鹿児島市

学歴
麻布中(旧制)卒 慶応義塾大学法学部〔昭和26年〕卒

経歴
昭和17年麻布中学に入学、隣の席が俳優の加藤武、前の席が精神科医のなだいなだ、後ろの席が作曲家の内藤法美で、すぐに同級の俳優の小沢昭一仲谷昇劇作家の大西信行とも仲良くなった。演劇部の他に、剣道部、弁論部、音楽部を掛け持ちした。21年慶応義塾大学法学部に進む。22年友人の家にあったドラムを初めて叩いたその日、ドラムセットを進駐軍のキャンプに運ぶのを手伝うと、友人のバンドのドラマーが無断欠勤したため、急遽代理で叩くことになった。以来ドラムに熱中し、セミプロバンドで演奏。24年マニラ・ボーイズに参加してプロのドラマーとしてデビュー。25年多忠修とゲイ・スターズ・オーケストラに移り、演奏活動の一方で、26年一度も落第せずに大学を卒業。この頃、極東空軍の集合所兼クラブであった丸の内のバンカース・クラブで空軍士官たちからドラムソロの際に声を掛けたいと名前を訊かれたが、本名の堺正俊では発音しにくいようで、以前に舞踊家の関口長世から“フランキーという愛称がいい”と言われたことを思いだしてそう伝えたところ、“フランキー堺”が芸名として定着した。28年与田輝雄(テナーサックス)、渡辺辰郎(アルトサックス)、松本文男(トランペット)、平野快二(ベース)、秋吉敏子(ピアノ)の6人でシックス・レモンズを結成。やがて、スパイク・ジョーンズに憧れてアチャラカバンドであるフランキー堺とシティ・スリッカーズを結成。メンバーにはトランペットの福原彰、テナーサックスの稲垣次郎の他、クレージー・キャッツに参加するギターの植木等、トロンボーンの谷啓、ピアノの桜井センリらがいた。一方、28年新東宝の「青春ジャズ娘」に出たのがきっかけで映画界に進出、俳優として才能を開花させ、次第に音楽から俳優に重心を移した。30年の「愛のお荷物」で初めて川島雄三監督と出会い、32年同監督の「幕末太陽伝」では主役の居残り佐平次役を演じて自身・川島ともの代表作となり、ブルーリボン主演男優賞、キネマ旬報主演男優賞などを受けた。以後、1960年代から70年代にかけて、東宝〈駅前〉シリーズや松竹〈旅行〉シリーズの他、「貸間あり」「末は博士か大臣か」「喜劇・あゝ軍歌」など多彩な作品で、人間味あふれる軽妙洒脱な演技を展開した。テレビでは、33年「私は貝になりたい」で戦犯の罪に問われて処刑される庶民を演じて高い評価を得、55年から始まった〈赤かぶ検事奮戦記〉シリーズの主人公・柊茂役でも人気を博した。また、クイズ番組「霊感ヤマカン第六感」の司会者なども務めた。一方、42年から大阪芸術大学で演劇論を講じ、49年教授、平成5年舞台芸術学科長。川島監督の没後、川島との次作で演じる予定であった江戸時代の浮世絵師・写楽の謎を追い続け、同じく写楽の映画を撮ることを念願としていた巨匠・内田吐夢とも意気投合したが、内田も夢を果たせずに没した。60年小説「写楽道行」を発表、平成6年には私財を投じて映画「写楽」を完成させた。自伝「芸夢感覚」がある。

受賞
紫綬褒章〔平成6年〕 ブルーリボン賞主演男優賞〔昭和32年〕「幕末太陽伝」「倖せは僕等のねがい」,キネマ旬報賞主演男優賞〔昭和32年〕「幕末太陽伝」,芸術祭文部大臣賞〔昭和33年〕「私は貝になりたい」,芸術祭文部大臣賞(映画)〔昭和38年〕「天と結婚」,NHK映画賞主演男優賞「末は博士か大臣か」,芸術祭企画賞(ドラマ)〔昭和39年〕「もぐらの唄」,モンテカルロ国際テレビ祭シルバー・ニンフ賞(第30回)〔平成2年〕「山頭火」,藤本賞(平6年度)〔平成7年〕,エランドール賞(特別賞 平7年度)〔平成8年〕「写楽」,日本アカデミー賞(特別賞企画賞 第19回)〔平成8年〕「写楽」,日本アカデミー賞会長特別賞(第20回 平8年度)〔平成9年〕,毎日映画コンクール特別賞(第51回 平8年度)〔平成9年〕

没年月日
平成8年 6月10日 (1996年)

家族
妻=谷 さゆり(ダンサー)

伝記
立川志らくのシネマ徒然草芸夢感覚―フランキー人生劇場華がある―時代を映し出す人々 立川 志らく 著フランキー堺 著朝日新聞西部本社 編(発行元 キネマ旬報社集英社葦書房 ’00’93’92発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「フランキー堺」の解説

フランキー堺
フランキーサカイ

昭和・平成期の俳優 大阪芸術大学教授。



生年
昭和4(1929)年2月13日

没年
平成8(1996)年6月10日

出生地
鹿児島県鹿児島市

本名
堺 正俊

学歴〔年〕
慶応義塾大学法学部〔昭和26年〕卒

主な受賞名〔年〕
ブルーリボン賞主演男優賞〔昭和32年〕「幕末太陽伝」「倖せは僕等のねがい」,キネマ旬報賞主演男優賞〔昭和32年〕「幕末太陽伝」,芸術祭文部大臣賞〔昭和33年〕「私は貝になりたい」,芸術祭文部大臣賞(映画)〔昭和38年〕「天と結婚」,NHK映画賞主演男優賞「末は博士か大臣か」,芸術祭企画賞(ドラマ)〔昭和39年〕「もぐらの唄」,モンテカルロ国際テレビ祭シルバー・ニンフ賞(第30回)〔平成2年〕「山頭火」,紫綬褒章〔平成6年〕,藤本賞(平6年度)〔平成7年〕,エランドール賞(特別賞 平7年度)〔平成8年〕「写楽」,日本アカデミー賞(特別賞企画賞 第19回)〔平成8年〕「写楽」,毎日映画コンクール特別賞(第51回 平8年度)〔平成9年〕,日本アカデミー賞会長特別賞(第20回 平8年度)〔平成9年〕

経歴
大学在学中からジャスに熱中し、昭和24年プロのドラマーとしてデビュー。27年ジャズ楽団シックス・レモンズを結成、ドラマー、ボーカリストとして活躍。28年新東宝の「青春ジャズ娘」に出たのがきっかけで映画界にも進出、やがて日活の専属となり「猿飛佐助」「牛乳屋フランキー」で注目され、32年「幕末太陽伝」でブルーリボン主演男優賞、キネマ旬報主演男優賞を受けた。以後、60年代から70年代にかけて東宝「駅前」シリーズや松竹「旅行」シリーズのほか、「貸間あり」「末は博士か大臣か」「喜劇・あゝ軍歌」など多彩な作品で、人間味あふれる軽妙洒脱な演技を展開した。この間、テレビにも進出。33年のドラマ「私は貝になりたい」で戦犯の罪に問われて処刑される庶民を演じて高い評価を得、数々の賞を受けたほか、各局のワイドショーの司会者としても活躍。42年から大阪芸術大学で演劇論を講じ、49年から教授、平成5年舞台芸術学科長。また昭和36年以来、幻の絵師・写楽のなぞを追い続け、60年小説「写楽道行」を執筆、「オール読物」に発表して話題となった。62年食道静脈瘤破裂で倒れるが復帰。平成6年私財1億5000万を投じ映画「写楽」を完成させる。他の出演に家族で出演したテレビ「わが輩ははなばな氏」や「山頭火」「赤かぶ検事奮戦記」「おんな太閤記」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「フランキー堺」の意味・わかりやすい解説

フランキー堺【フランキーさかい】

俳優。本名堺正俊。鹿児島市生れ。慶応大学在学中からジャズ・ドラマーとして活躍。1953年《青春ジャズ娘》でデビュー。スラップスティック・コメディ《牛乳屋フランキー》(1956年)などで注目され,川島雄三監督の《幕末太陽伝》(1957年)をはじめ,《貸間あり》(1959年),《グラマ島の誘惑》(1959年)などに出演,川島喜劇に欠かせない俳優となる。また戦犯の罪に問われて処刑される一庶民を演じたテレビ・ドラマ《私は貝になりたい》(1959年)で性格俳優としての地位を築いた。1960年代には,森繁久弥とともに〈喜劇・駅前〉シリーズなどで活躍。ほかに自ら企画も手がけた篠田正浩監督の《写楽》(1994年)などがある。
→関連項目谷啓

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「フランキー堺」の解説

フランキー堺 フランキー-さかい

1929-1996 昭和後期-平成時代の俳優。
昭和4年2月13日生まれ。慶大在学中からジャズドラマーとして活躍。昭和28年映画デビュー。32年映画「幕末太陽伝」でブルーリボン主演男優賞,33年テレビドラマ「私は貝になりたい」で芸術祭文部大臣賞。50年大阪芸大教授。平成7年自ら企画・製作した映画「写楽」で藤本賞。平成8年6月10日死去。67歳。鹿児島県出身。本名は堺正俊。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「フランキー堺」の解説

フランキー堺 (ふらんきーさかい)

生年月日:1929年2月13日
昭和時代;平成時代の俳優。大阪芸術大学教授
1996年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のフランキー堺の言及

【駅前旅館】より

…製作は東宝の子会社,東京映画。いずれも森繁久弥,伴淳三郎,フランキー堺のトリオを主役に,毎回変わる設定のなか,3人の持味を生かし,人情コメディを基本に,ドタバタ喜劇の活力,社会風俗の同時代性,新旧世代の心情の違いによる哀感などを巧みに取り入れ,人気を博した。《駅前旅館》は,井伏鱒二の同名小説を原作とする豊田四郎監督作品で,上野駅前の旅館の番頭(森繁)とライバル旅館の番頭(伴淳)と旅行社の添乗員(フランキー)を中心に(この3人の芸達者の〈芸〉が大きな見せどころになる),移りゆく旅館街のてんやわんや,お色気騒動などが描かれ,風俗映画の佳作となっている(例えば地方から慰安旅行に出てきた新興宗教団体の一行に〈今流行のドカビリを見せてけれ〉と請われたフランキー堺が三味線をギターに見たててロカビリー歌手を熱演すると,そのリズムに乗った一行から賽銭が飛んでくるといったシーンがある)。…

※「フランキー堺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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