小沢昭一(読み)オザワショウイチ

デジタル大辞泉 「小沢昭一」の意味・読み・例文・類語

おざわ‐しょういち〔をざはセウイチ〕【小沢昭一】

[1929~2012]俳優東京の生まれ。俳優座養成所を経て俳優デビューし、多く舞台映画などに出演。ラジオ番組のパーソナリティーとしても活躍した。民俗芸能研究にも業績を残し、香具師やし口上門付け山伏神楽などを採集・録音した「日本の放浪芸」シリーズがある。

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百科事典マイペディア 「小沢昭一」の意味・わかりやすい解説

小沢昭一【おざわしょういち】

俳優,芸能史研究者。東京都生まれ。父の営む写真館のある東京・蒲田で育つ。旧制麻布中学から1945年海軍兵学校に入校敗戦を迎える。早稲田大学文学部仏文科在学中の1949年,俳優座付属俳優養成所に入り(二期生),千田是也ら名優たちの教えを受ける。1960年,演出家早野寿郎と劇団俳優小劇場を結成古典劇前衛劇の実験的上演に取り組む。1966年新劇寄席《とら》(田中千禾夫作)で芸術祭奨励賞を受賞している。映画には今村昌平の紹介で1954年にデビュー,川島雄三監督の《州崎パラダイス赤信号》(1956年),《幕末太陽傳》(1957年)で脇役ながら強い印象を残す。《にあんちゃん》(1959年),《豚と軍艦》(1961年),《にっぽん昆虫記》(1963年)などの今村昌平監督作品に連続して出演,俳優としての評価を確立,同監督の《”エロ事師たち”より人類学入門》(1966年)でキネマ旬報主演男優賞を獲得した。落語をはじめ語りの芸能,放浪芸,伝統芸能などについての関心も古くからあり,〈芸能の原点〉を求めて,1969年,早稲田大学大学院で郡司正勝に師事し芸能史研究にとりくんだ。1971年,小沢の著書《私は河原乞食考》(1969年)に触発されたJVCレコードプロデューサー市川捷護と組んで,日本全国に残存する音源を収集して《日本の放浪芸》(LPレコード7枚組)を刊行し日本レコード大賞企画賞を受賞。1975年研究誌《季刊藝能東西》創刊し,俳優としての活動と並行して,庶民の生活のなかに息づくさまざまな芸能の探究を本格化させていく。1960年代後半から,芸能活動の場を舞台,映画からさらにTV,ラジオに拡げ,1973年1月からTBSラジオで《小沢昭一の小沢昭一的こころ》を開始,独特の軽妙な語りで好評を博し,2012年12月まで続く異例の長期連続番組となった。また,1975年から1980年まで劇団芸能座を主宰,1982年には役者は小沢一人の劇団しゃぼん玉座を設立,活動を続けた。井上ひさしの作品《唐来参和》は一人芝居の絶品と評価された。俳人でもあり,俳号変哲。主な著書に《日本の放浪芸》(1974年,番町書房),共編著に《大系日本歴史と芸能》全12巻(1990年―1991年,平凡社)がある。朝日賞受賞(2005年)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小沢昭一」の意味・わかりやすい解説

小沢昭一
おざわしょういち

[生]1929.4.6. 東京
[没]2012.12.10. 東京
俳優,芸能研究家。早稲田大学仏文科卒業。在学中から北村和夫らと演劇活動を始め,1950年俳優座養成所に 2期生として入所。1951年俳優座公演の岸田国士作『椎茸と雄弁』で初舞台を踏む。1953年同養成所卒業と同時に渡辺美佐子らと劇団新人会を結成,1961年には早野寿郎らと劇団俳優小劇場を結成した。また,この頃から民衆芸能への関心を高め,1969年著書『私は河原乞食・考』を発表,1970年から放浪芸の採集を開始して『日本の放浪芸』レコード三部作(1971~75)としてまとめた。この間 1975年に芸能座を結成,翌 1976年永六輔作『清水次郎長伝・伝』で旗揚げ。並行して雑誌『季刊・芸能東西』10冊を編集・刊行した。1979年12月芸能座を解散,以後小沢一人のしゃぼん玉座で活動を続けた。そのほか映画にも多数出演,ことに今村昌平作品には欠かせない存在として知られ,代表作に『にあんちゃん』(1959)などがある。1994年紫綬褒章,2001年勲四等旭日小綬章,2007年菊池寛賞を授与された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小沢昭一」の解説

小沢昭一 おざわ-しょういち

1929-2012 昭和後期-平成時代の俳優。
昭和4年4月6日生まれ。早大在学中から演劇活動をおこない,昭和26年俳優座の「椎茸(しいたけ)と雄弁」で初舞台。28年「広場の孤独」で映画デビュー。以後今村昌平監督の「にあんちゃん」「人類学入門」など多数の映画に出演。放浪芸の採集でも知られ,「日本の放浪芸」などをあらわした。平成16年森繁久弥のあとをつぎ,博物館明治村の3代目村長。18年朝日賞。19年菊池寛賞。昭和48年にはじまったラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は1万回をこえて放送された。平成24年12月10日死去。83歳。東京出身。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小沢昭一」の意味・わかりやすい解説

小沢昭一
おざわしょういち
(1929―2012)

俳優。東京生まれ。早稲田(わせだ)大学仏文科卒業。俳優座養成所出身で、舞台、映画、放送など多方面で活躍。独特の方法による芸能史研究が優れた成果を収め、ドキュメント『日本の放浪芸』(1971)はレコード大賞企画賞を受賞した。その後も『又・日本の放浪芸』『また又・日本の放浪芸「節談説教」』のレコードを発表。とくに節談説教の集録と実演は無類の業績であり、それらを基盤に独自の芸域を開拓した。「新しい芸能研究室」を主宰。

[関山和夫]

『小沢昭一著『私は河原乞食・考』(1969・三一書房)』『小沢昭一著『私のための芸能野史』(1973・芸術生活社)』

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367日誕生日大事典 「小沢昭一」の解説

小沢 昭一 (おざわ しょういち)

生年月日:1929年4月6日
昭和時代;平成時代の俳優;演出家;芸能研究家

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