映画監督。岐阜市生まれ。1953年(昭和28)早稲田(わせだ)大学卒業後、松竹大船撮影所に入る。『恋の片道切符』(1960)でデビュー、同世代の大島渚(なぎさ)、吉田喜重(よししげ)らとともに松竹ヌーベル・バーグの一翼を担う。大島の社会性、吉田の内省性に比して篠田の特徴は、当初は軽快な映像感覚にあった。ニヒルなやくざを描いた『乾いた花』(1964)、幕末の志士清河八郎に迫った『暗殺』(1964)で話題を集めたが、1965年に松竹を退社。以後は独立プロやフリーで作品を発表、徹底した様式性と大胆な実験精神で近松門左衛門に挑んだ『心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)』(1969)の成功により決定的な評価を得る。その後の作品には、日本的な情念のありかを古典、歴史のなかに探る作品と、少年を主人公に「戦後」の意味を問う自省的な作品という二つの傾向が顕在化していく。前者には坂口安吾(あんご)原作の『桜の森の満開の下』(1975)、水上勉(みずかみつとむ)の『はなれ瞽女(ごぜ)おりん』(1977)、泉鏡花(きょうか)の『夜叉ヶ池(やしゃがいけ)』(1979)などがあり、ふたたび近松に挑んだ『鑓(やり)の権三(ごんざ)』(1986)ではベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した。後者には『瀬戸内少年野球団』(1984)、『少年時代』(1990)、『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』(1997)がある。また、デジタル映像の活用など新技術に対しても意欲的で、コンピュータ・グラフィクスを積極的に取り入れた映画製作を推進し、『写楽』(1995)、『梟(ふくろう)の城』(1999)を発表した。夫人は女優の岩下志麻。
[佐伯知紀]
恋の片道切符(1960)
乾いた湖(1960)
夕陽に赤い俺の顔(1961)
わが恋の旅路(1961)
三味線とオートバイ(1961)
私たちの結婚(1962)
山の讃歌 燃ゆる若者たち(1962)
涙を、獅子のたて髪に(1962)
乾いた花(1964)
暗殺(1964)
美しさと哀しみと(1965)
異聞猿飛佐助(1965)
処刑の島(1966)
あかね雲(1967)
心中天網島(1969)
無頼漢(1970)
沈黙 SILENCE(1971)
天皇の世紀~第10話「攘夷(じょうい)」(1971)
札幌オリンピック(1972)
化石の森(1973)
卑弥呼(ひみこ)(1974)
桜の森の満開の下(1975)
はなれ瞽女おりん(1977)
夜叉ヶ池(1979)
悪霊島(1981)
瀬戸内少年野球団(1984)
ALLUSION 転生譚(1985)
鑓の権三(1986)
舞姫(1989)
少年時代(1990)
写楽 Sharaku(1995)
瀬戸内ムーンライト・セレナーデ(1997)
梟の城(1999)
スパイ・ゾルゲ(2003)
『篠田正浩著『心中天網島 篠田正浩作品集』(1970・仮面社)』▽『篠田正浩著『闇の中の安息 篠田正浩評論集』(1979・フィルムアート社)』▽『篠田正浩著『駈けぬける風景』(1980・創隆社)』▽『篠田正浩著『NHKブックス739 日本語の語法で撮りたい』(1995・日本放送出版協会)』▽『篠田正浩著『監督、撮らずに観る――映画館では見えてこない映画の話』(1997・ステレオサウンド)』▽『梟の城製作委員会著『1999年の梟の城』(1999・扶桑社)』▽『篠田正浩著『エイゼンシュテイン』(岩波書店・20世紀思想家文庫)』
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