フールマノフ(その他表記)Dmitrii Andreevich Furmanov

改訂新版 世界大百科事典 「フールマノフ」の意味・わかりやすい解説

フールマノフ
Dmitrii Andreevich Furmanov
生没年:1891-1926

ソ連邦作家。1912年から14年までモスクワ大学に学び中退するが,再入学し24年に卒業。学生時代から社会主義に親しみ,1918年に共産党入党。十月革命後の国内戦時にはチャパーエフ師団などの政治委員をつとめる。その経験にもとづき,中編《赤軍上陸隊》(1922)ほか数多くのルポルタージュを書き,長編《チャパーエフ》(1923)で圧倒的な成功を収めた。かつては皇帝軍隊一兵卒でありながら,赤軍の伝説的英雄となった司令官主人公に,赤軍や白衛軍の戦闘命令や記録文書をふんだんに引用して,国内戦の歴史を正確に記した《チャパーエフ》は初期ソ連文学の傑作とされている。次の長編《暴動》(1925)も成功を収めた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フールマノフ」の意味・わかりやすい解説

フールマノフ
ふーるまのふ
Дмитрий Андреевич Фурманов/Dmitriy Andreevich Furmanov
(1891―1926)

ソ連の小説家。コストロマ県(ロシア連邦コストロマ州)の農民の出身。実業学校、モスクワ大学文学部に学ぶ。1918年入党、地方の党活動ののち19年から国内戦の伝説的な英雄チャパーエフ麾下(きか)の部隊などで政治委員として活躍、その体験をもとに記録文学的な手法で書き上げた長編『チャパーエフ』(1923)が初期ソビエト文学の傑作として広範な読者に迎えられた。民衆肌の司令官の豪放さと、作者の分身である党政治委員の緻密(ちみつ)な組織者的役割とを対比させ、農民パルチザン兵と労働者部隊の気質の差をリアルに描き分けながら、革命戦のロマンチシズムを歌い上げた手並みは非凡である。これはワシーリエフ兄弟によって映画化され、ソビエト映画史に残る傑作となった。ほかにトルキスタンの国内戦を描いた長編『反乱』(1925)があり、ラップ・モスクワ支部長などとして文学運動でも指導的役割を果たした。

[江川 卓]

『名越民樹訳『チャパーエフ』全2巻(1968・新日本出版社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フールマノフ」の意味・わかりやすい解説

フールマノフ
Furmanov, Dmitrii Andreevich

[生]1891.11.7. コストロマ
[没]1926.3.15. モスクワ
ソ連の作家。農民出身で,モスクワ大学在学中に志願兵として戦線におもむいた。 1919年から第 25チャパーエフ師団の軍事委員。そのときの体験をもとに小説『チャパーエフ』 Chapaev (1923) を執筆,これは 34年に映画化された。その後ラップ (ロシア・プロレタリア作家連盟) のモスクワ支部を指導。ほかに『18年に』V vosemnadtsatom godu (23) ,『反乱』 Myatezh (25) 。

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百科事典マイペディア 「フールマノフ」の意味・わかりやすい解説

フールマノフ

ロシア(ソ連)の作家。農民出身で,国内戦時チャパーエフ師団の政治委員となり,記録文学的な長編《チャパーエフ》(1923年)でソビエト文学の成立に寄与した。他に長編《反乱》(1925年)など。

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