改訂新版 世界大百科事典 「ブットー」の意味・わかりやすい解説
ブットー
Zulfikār Alī Bhuttō
生没年:1928-79
パキスタンの政治家。シンド州の大地主の家に生まれる。1947-53年アメリカとイギリスで政治学,法学を学び,弁護士の資格を取って帰国。アユーブ・ハーン政権の商務相として政界に入った。63年外相,66年アユーブ政権を離れ,67年人民党を結成し,70年制憲議会選挙で躍進した。71年12月の第3次インド・パキスタン戦争後,ヤヒヤー・ハーンに代わって大統領となり,主要産業国有化や土地改革などの政策を打ち出した。外交では対インド友好関係維持を図ったが,親米・親中国の方針を貫徹した。73年に新憲法を制定し,国内で野党政治家弾圧など強硬策を断行した。77年クーデタで逮捕され,翌年政敵殺害の罪状で死刑判決,79年4月処刑された。著書に《独立の神話》(1969)がある。88年,イスラム圏初の女性首相となったベナジール・ブットーBenazir(1953- )はその娘。
執筆者:内藤 雅雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報