翻訳|parade
軍隊を集合,行進させて司令官などが閲兵するのが原義で,社会主義諸国で行っているリーダーが壇上に並ぶ〈赤の広場〉や〈天安門〉などにおけるメーデーのパレードがその直系である。転じて,娯楽的形式をとった主として野外で行われる,成員のアイデンティティ,共同感情(国,都市,集団)を促進,高揚させるため行われる催し,ねり歩きをともなう祭り,スペクタクル一般を指す。ヨーロッパでの歴史上の古典となるパレードは,ローマの凱旋パレードであろう。征服した土地の人間,動物,戦利品を並べたその行列は,あらゆる知識,情報を視覚に凝集させる,またとない媒体であった。行進するものが,給料に不満をもった兵士らで自分らの将軍のことを嘲弄し,〈気をつけろ,はげ頭の女たらし(ジュリアス・シーザー)が帰って来たぞ〉といったざれ歌を歌いながらであっても,政治的な効果はこれと関係なく十分あった。この伝統はルネサンス期に復活し王侯貴族,都市のギルド,クラフトによって数多く行われ,歴史の節目,都市の秩序を,そのイベントによって人々に刻印することが慣行化する。それは民衆にとっても祭りと並ぶ最大の娯楽の一つであった。ナチス・ドイツはこの伝統をうまく統合,利用した。現代のパレードは機構化し,様式はかつてないほど整っているものの,行進するものと観客との間の情念のコミュニケーションはしだいに薄れ,変質している。
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執筆者:香内 三郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…つまり,マルクス主義が政治を上部構造としてとらえ,下部構造である経済によって究極的に規定されるとしたのに対して,エリート理論は政治の自律性を説き,政治エリートはけっして経済的エリートと同一視しえないことを指摘した。 イタリアのV.パレートはその著《社会主義体系》(1902)のなかで,マルクスの理論を批判して,資本家と労働者の間の闘争が終結しても,それによって階級闘争が消滅するというのは幻想であると主張した。闘争は〈知識人と非知識人の間に,諸種の政治家の間に,政治家と彼らによって統治される者たちとの間に,革新派と保守派の間に〉依然として生ずるであろうとされた。…
…その門下のJ.M.ケインズによる国民所得を主要な変数とする経済分析にも,マーシャルの概念や均衡分析の手法が多く跡をとどめている。ワルラスの後継者V.パレートは,ワルラスの基数的な効用理論をより一般的な序数的効用理論によっておきかえることに成功し,スウェーデン学派のK.ウィクセルは,ワルラスによって扱われた資本,利子,貨幣の分析を多方面に発展させた。また1940年を前後してJ.R.ヒックス,P.A.サミュエルソンは一般均衡理論の体系に比較静学の方法を導入し,同じころ,W.レオンチエフは産業間の相互依存をデータ分析が可能な形に具体化した産業連関理論(産業連関表)を開拓した。…
…所得分布の型について最初に見いだされた経験法則。所得水準をy,y以上の所得を有する総人員数をNとし,A,pを定数とすれば, N=Ay-p (A>0,p>1) という関係が近似的に成立することを1897年にV.パレートは提唱した。この関係をパレート法則という。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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