19世紀末におけるヨーロッパ諸国の軍備拡大と軍事負担増大の中で,恒久平和の手段を探るため,1899年と1907年の2回にわたり開催された当時最大の国際会議で,多数の条約を採択し,国際法の法典化にとって大きな成果をあげた。
1899年第1回ハーグ平和会議には,ロシア皇帝の招請によりヨーロッパを中心に26ヵ国(日本を含む)が参加し,そこで採択された三つの条約と三つの宣言は,国際紛争平和的処理条約(国際紛争)を除き,すべて戦争法に関するものであった。すなわち,〈陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約〉(ハーグ陸戦条約ともいう)およびその付属規則,〈ジュネーブ条約ノ原則ヲ海戦ニ適用スル条約〉と,軽気球より投射物および爆発物を投下することの禁止宣言,窒息性・有毒性ガスの散布を唯一の目的とする投射物の使用禁止宣言,ダムダム弾使用禁止宣言である。この会議は軍備制限をも目的としたが,これについては当時の無差別戦争観(戦争)の下でいかなる合意もえられなかった。
1907年第2回ハーグ平和会議は,第1回会議の作業の基礎として役だった人道原則に新たな発展を与える目的で開催され,前回参加国のほか,多数のラテン・アメリカ諸国を含む44ヵ国が参加し,13の条約,一つの宣言を採択した。第1~13条約の順に列挙すれば,(1)〈国際紛争平和的処理条約〉,(2)〈契約上ノ債務回収ノ為ニスル兵力使用ノ制限ニ関スル条約〉,(3)〈開戦ニ関スル条約〉,(4)〈陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約〉,(5)〈陸戦ノ場合ニ於ケル中立国及中立人ノ権利義務ニ関スル条約〉,(6)〈開戦ノ際ニ於ケル敵ノ商船取扱ニ関スル条約〉,(7)〈商船ヲ軍艦ニ変更スルコトニ関スル条約〉,(8)〈自動触発海底水雷ノ敷設ニ関スル条約〉,(9)〈戦時海軍力ヲ以テスル砲撃ニ関スル条約〉,(10)〈ジュネーブ条約ノ原則ヲ海戦ニ応用スル条約〉,(11)〈海戦ニ於ケル捕獲権行使ノ制限ニ関スル条約〉,(12)〈国際捕獲審検所ノ設立ニ関スル条約〉,(13)〈海戦ノ場合ニ於ケル中立国ノ権利義務ニ関スル条約〉,である。また宣言は,軽気球より投射物及び爆発物を投下することの禁止に関する宣言である。これらのうち第12条約は,必要な批准数がえられず,効力を発生しなかった。
上記諸条約・宣言の内容は,資本主義の展開に伴う海外植民地をまき込んだ戦争と国際海上通商の増大,その場合の中立国の通商保護の必要といった当時の国際状況に符合したものであった。しかし,その後も軍備競争は激化の一途をたどり,この会議の最終議定書において予定されていた第3回平和会議は,第1次世界大戦の勃発により開催されずに終わった。
執筆者:藤田 久一
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1899年と1907年の2回にわたり、オランダのハーグで開催された国際平和のための会議。1899年、ロシア皇帝ニコライ2世の主唱で、軍縮と紛争の平和的解決制度の樹立を目的として、第1回平和会議が開催された。26か国の参加を得たこの会議では、軍縮について具体的合意は得られず、国際紛争平和的処理条約、陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約、ジュネーブ(赤十字)条約ノ原則ヲ海戦ニ応用スル条約(3条約)、ならびに三宣言(軽気球からの投射物爆発物投下禁止宣言、毒ガス投射物使用禁止宣言、ダムダム弾使用禁止宣言)が採択された。第2回ハーグ会議は日露戦争(1904~05)のため予定より遅れ、07年に「全人類の幸福を増進する関心事を討議」する目的で開催された。この会議には、日本を含む非ヨーロッパ諸国の参加もあって、44か国の出席をみた。この会議では、第1回ハーグ会議で採択された条約の改正を含め、戦争を規制する諸条約(13の条約と一つの宣言)を採択し、軍縮に関する条約の締結には成功しなかった。しかし、2回のハーグ平和会議は、国際平和に関する共通目的を明確にし、戦争法規を採択した意義は大きい。
なお、韓国が日本の併合政策に反対して密使を送ったのは、第2回の会議中のことである。
[經塚作太郎]
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ロシア皇帝ニコライ2世の呼びかけで1899年5~7月(26カ国参加),1907年6~10月(44カ国参加)の2度オランダのハーグで開催された国際平和会議。交戦者の資格と捕虜の人道的待遇,ダムダム弾等残虐な武器の禁止,敵国領土の占領と占領軍の権限などを定めた「陸戦の法規慣例に関する条約」(ハーグ陸戦条約,第1回平和会議で採択し第2回平和会議で改正)をはじめ,戦時国際法に関する多くの条約と紛争の平和的解決に関する若干の条約を採択。特にアメリカ大統領セオドア・ローズヴェルトの差配が際立った第2回会議は,当時の国際社会を構成するほとんどすべての国の参加を得たが,主要議題の一つであった軍縮問題については成果をあげることができなかった。
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万国平和会議とも。1899年(明治32)と1907年,オランダのハーグで開催された国際会議。紛争の平和的解決と戦争法規の制定で成果をあげた。
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…国際紛争は,通常,事実問題と法律問題を含むものであるが,単に事実についての見解の不一致からも生じる。国際審査international inquiryは,1899年に第1回ハーグ平和会議で締結された国際紛争平和的処理条約(1907年に改訂)によって初めて設けられたものであり,単に事実上の見解が異なることから生じた国際紛争を国際審査委員会に付託し,その公平誠実な審理によって事実問題を明らかにし,紛争の解決を容易にする制度である。日露戦争のおり,ロシアのバルチック艦隊がイギリスの漁船を日本の水雷艇と見誤って砲撃,損害を与えた英露間の1904年のドッガー・バンク事件は国際審査によってみごとに解決した。…
…多くの国のそうした認識の高まりのなかで,19世紀末から平和的解決方法が著しく発展してきた。1899年のハーグ平和会議において〈国際紛争平和的処理条約〉(1907修正)が定立されて以来,国際紛争の具体的かつ体系的な平和処理を志向する国際機関や国際裁判所(国際連盟の常設国際司法裁判所,国際連合の国際司法裁判所)などの主体が存在するに至った。しかしながら国際紛争および戦争を平和的に解決するため,またそれを未然に防止するためには,その管理ではなくその変革,つまり紛争当事者間の価値・利益の両立性の状態を積極的に作り出していくことが何よりも重要となろう。…
※「ハーグ平和会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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