大浦天主堂(読み)オオウラテンシュドウ

デジタル大辞泉 「大浦天主堂」の意味・読み・例文・類語

おおうら‐てんしゅどう〔おほうらテンシユダウ〕【大浦天主堂】

長崎市南山手町にあるゴシック風のカトリック教会堂。日本現存最古の洋風建築で、二十六聖人殉教記念聖堂として元治元年(1864)完成。明治初期に改築国宝
[補説]平成30年(2018)、原城平戸天草五島などの集落とともに、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の名称世界遺産文化遺産)に登録された。

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精選版 日本国語大辞典 「大浦天主堂」の意味・読み・例文・類語

おおうら‐てんしゅどうおほうらテンシュダウ【大浦天主堂】

  1. 長崎市南山手町にある日本最古のカトリック教会堂。元治元年(一八六四)、フランス人宣教師フューレプチジャンが建設。ゴシック様式木造。明治八年(一八七五外壁煉瓦造・石灰塗りに改築。国宝。

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日本歴史地名大系 「大浦天主堂」の解説

大浦天主堂
おおうらてんしゆどう

[現在地名]長崎市南山手町

カトリック教会堂。国宝。安政五年(一八五八)日仏修好通商条約第四条によりパリ外国宣教会から長崎市に派遣されたヒュレ神父は、文久三年(一八六三)長崎奉行の許可を得て現在地を購入、教会堂の建設に取掛った。同神父の設計、この年着任したプチジャン神父の監督のもと肥後天草あまくさの小山秀之進が施工した。元治元年(一八六四)完成。翌二年教区長ジラールにより献堂式が行われた。創建当時はゴシック様式とルネサンス末期の古典様式の混合であった。慶応元年(一八六五)大浦を訪れた桃節山は「仏蘭西之天主堂」を見て、高みに建てられた目立った高い建物と記している(西遊日記)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大浦天主堂」の意味・わかりやすい解説

大浦天主堂
おおうらてんしゅどう

長崎市南山手(みなみやまて)町に残るカトリック教会堂。1864年(元治1)フランス人宣教師フューレLouis-Théodore Furet(1816―1900)は、大浦にフランス人居留民のための教会堂を建立し、翌1865年2月、長崎で殉教した日本二十六聖人に献(ささ)げた。大浦天主堂は当時、俗にフランス寺とよばれた。創建当時は3基の塔をもつゴシックとバロックの混合様式であったが、1875年(明治8)改築され、塔は中央の1基のみとなった。開国当初の洋風建築、ことにゴシック様式建造物としてはもっとも古いものである。

 1865年(慶応1)3月、浦上(うらかみ)村民の一団が大浦天主堂にプチジャン司教を訪ね、カトリックの信者であることを告白した。これが「信徒発見」とよばれる歴史的事件となる。大浦天主堂は、実に250年間のキリシタン弾圧に耐えてひそかに信仰を守り続けてきた潜伏キリシタンが復活した記念の地となった。1945年(昭和20)原爆のために破損し、1952年補修再建された。1933年(昭和8)に引き続き、1953年には二度目の国宝指定を受けている。

[宮崎賢太郎]

〔世界遺産の登録〕大浦天主堂は、2018年(平成30)、ユネスコ国連教育科学文化機関)により「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として、世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。

[編集部 2018年9月19日]

『桐敷真次郎著『大浦天主堂』(1968・中央公論美術出版)』『木村信郎写真、村松貞次郎・片岡弥吉監修『長崎の天主堂――その信仰と美』(1977・技報堂出版)』


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百科事典マイペディア 「大浦天主堂」の意味・わかりやすい解説

大浦天主堂【おおうらてんしゅどう】

長崎市南山手(みなみやまて)町にある日本最古のカトリック教会堂。フランス人宣教師フューレが設計,プティジャン尽力で1864年完成。1597年長崎で殉教した二十六聖人にささげられたもので,最初は木造であったが,1874年−1875年に外壁を煉瓦壁漆喰塗りに改め,全体がゴシック形式に統一された。なお1865年浦上(うらかみ)の潜伏キリシタンがここを訪れ信仰を表明した(キリシタンの復活)ことは著名。→浦上崩れ
→関連項目グラバー邸ビリヨン

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大浦天主堂」の意味・わかりやすい解説

大浦天主堂
おおうらてんしゅどう

長崎県長崎市にあるゴシック建築カトリック長崎司教区聖堂。16世紀末に長崎で殉教した二十六聖人に捧げられたもので,正式名称は日本二十六聖殉教者聖堂。フランスの宣教師ベルナール=タデー・プティジャンの指導のもと元治1(1864)年に竣工した。日本における最初期の西洋建築で,当初木造三廊であったが,1874~75年の改築により煉瓦壁漆喰塗りの五廊式聖堂となった。1933年国宝に指定。2018年「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として,世界遺産の文化遺産に登録。

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改訂新版 世界大百科事典 「大浦天主堂」の意味・わかりやすい解説

大浦天主堂 (おおうらてんしゅどう)

長崎市南山手町にあるカトリック教会堂。1597年(慶長2)の長崎における殉教者に奉献され,〈二十六聖殉教者堂〉と命名されている。現存する日本最古の洋風建造物で,1864年(元治1)フューレ,プティジャン両神父の設計監督により竣工。施工は天草の大工小山秀之進。当初は三廊式で背後に大小3塔をもつ小規模な教会堂で,イル・ジェスー教会風の正面に,一部ゴシック様式が取り入れられていた。75年ポアリエ神父の設計で拡張され,五廊式1塔,煉瓦壁漆喰塗の現状となり,建築様式もゴシックに統一された。国宝である。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大浦天主堂」の解説

大浦天主堂
おおうらてんしゅどう

長崎市南山手にある現存では日本最古の天主堂。フランス人宣教師フューレ,プティジャン両神父の設計,天草の棟梁小山秀之進の施工により,1865年(慶応元)竣工。75年(明治8)大改築がなされ,外壁も木造から煉瓦造となる。幕末期に浦上に潜伏していたキリシタンが名のりでて,浦上崩れの発端となった場所でもある。国宝。

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デジタル大辞泉プラス 「大浦天主堂」の解説

大浦天主堂

長崎県長崎市にある建築物。1864年建築の教会堂を1875年、1879年に改築。中央に1基の塔がある。国宝。2018年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のひとつとして世界文化遺産に登録された。

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事典・日本の観光資源 「大浦天主堂」の解説

大浦天主堂

(長崎県長崎市)
長崎県新観光百選」指定の観光名所。

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