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大浦天主堂 おおうらてんしゅどう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大浦天主堂
おおうらてんしゅどう

長崎市南山手町にあるゴシック形式のカトリック長崎司教区聖堂。国宝。慶長2 (1597) 年長崎で殉教した二十六聖人のために捧げられた。元治1 (1864) 年竣工。フランス人 B.プティジャンの指導により建設された日本における最初期の西洋建築。

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デジタル大辞泉の解説

おおうら‐てんしゅどう〔おほうらテンシユダウ〕【大浦天主堂】

長崎市南山手町にあるゴシック風のカトリック教会堂。日本現存最古の洋風建築で、二十六聖人殉教記念聖堂として元治元年(1864)完成。明治初期に改築。国宝。

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百科事典マイペディアの解説

大浦天主堂【おおうらてんしゅどう】

長崎市南山手(みなみやまて)町にある日本最古のカトリック教会堂フランス宣教師フューレが設計,プティジャンの尽力で1864年完成。1597年長崎で殉教した二十六聖人にささげられたもので,最初は木造であったが,1874年−1875年に外壁を煉瓦壁漆喰塗りに改め,全体がゴシック形式に統一された。
→関連項目グラバー邸ビリヨン

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世界大百科事典 第2版の解説

おおうらてんしゅどう【大浦天主堂】

長崎市南山手町にあるカトリック教会堂。1597年(慶長2)の長崎における殉教者に奉献され,〈二十六聖殉教者堂〉と命名されている。現存する日本最古の洋風建造物で,1864年(元治1)フューレ,プティジャン両神父の設計監督により竣工。施工は天草の大工小山秀之進。当初は三廊式で背後に大小3塔をもつ小規模な教会堂で,イル・ジェスー教会風の正面に,一部ゴシック様式が取り入れられていた。75年ポアリエ神父の設計で拡張され,五廊式1塔,煉瓦壁漆喰塗の現状となり,建築様式もゴシックに統一された。

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大辞林 第三版の解説

おおうらてんしゅどう【大浦天主堂】

長崎市にあるカトリック教会堂。日本最古の洋風建築。1864年フランス人宣教師プティジャンらが建設、二十六聖殉教者堂と命名。65年堂内の聖母子像に導かれて、浦上の隠れキリシタンがプティジャンに信仰を表明したキリシタン復活の場として知られる。初め木造で、75年(明治8)煉瓦れんが造りに改築。国宝。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大浦天主堂
おおうらてんしゅどう

長崎市南山手(みなみやまて)町に残るカトリック教会堂。1864年(元治1)フランス人宣教師フューレは、大浦にフランス人居留民のための教会堂を建立し、翌年2月、長崎で殉教した日本二十六聖人に献(ささ)げた。大浦天主堂は当時、俗にフランス寺とよばれた。創建当時は3基の塔をもつゴシックとバロックの混合様式であったが、75年(明治8)改造され、塔は中央の1基のみとなった。開国当初の洋風建築、ことにゴシック様式建造物としてはもっとも古いものである。
 1865年(慶応1)3月、浦上(うらかみ)村民の一団が大浦天主堂にプチジャン司教を訪ね、カトリックの信者であることを告白した。これが「信徒発見」とよばれる歴史的事件である。大浦天主堂は、実に250年間のキリシタン弾圧に耐えてひそかに信仰を守り続けてきた潜伏キリシタンが復活した記念の地となった。1945年(昭和20)原爆のために破損し、52年補修再建された。33年に引き続き、53年二度目の国宝指定を受けている。[宮崎賢太郎]
『桐敷真次郎著『大浦天主堂』(1968・中央公論美術出版) ▽村松貞次郎・片岡弥吉監修『長崎の天主堂』(1977・技報堂出版)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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