プリエト(その他表記)Indalecio Prieto y Tuero

改訂新版 世界大百科事典 「プリエト」の意味・わかりやすい解説

プリエト
Indalecio Prieto y Tuero
生没年:1883-1962

スペインの政治家,ジャーナリスト。ビルバオ市で速記者から,のちに《エル・リベラル》紙編集長,社主となる。16歳で社会党入党,1911年ビルバオ市会議員,18年代議士初当選。23年プリモ・デ・リベラ独裁が始まると,パリに逃れ,反対運動を行う。31年第二共和国の成立に際し入閣し,蔵相,公共事業相を歴任。34年アストゥリアス革命の失敗後,フランスへ亡命アサーニャとともに人民戦線の形成に尽力した。36年内戦が始まると,海・空相,国防相に就任。38年ネグリン首相と対立し閣外へ追放され,チリへ特使派遣された後,メキシコ市に定住。共和国亡命政府に協力して宣伝活動に従事した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プリエト」の意味・わかりやすい解説

プリエト
Prieto, Joaquín

[生]1786.8.20. コンセプシオン
[没]1854.11.22. バルパライソ
チリの軍人,政治家。大統領 (在任 1831~41) 。 1805年軍隊に入り,独立戦争に従軍。独立 (18) 後,保守派の指導者として活躍し,自由主義派の領袖 R.フレイレを倒して 29~30年の革命を成功させ,2期連続大統領をつとめた。在任中,D.ポルタレスら有能な閣僚を擁し,憲法制定 (33) ,教育,財政の整備などにすぐれた業績を上げ,対ペルー=ボリビア戦争 (36~39) を勝利に導いた。

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世界大百科事典(旧版)内のプリエトの言及

【スペイン内乱】より

…つまり,共和国大統領および首相は,国民の大多数がカトリック教徒であり,保守的な志向をもつ農民である事実を理解していなかった。それにひきかえ,社会党穏健派に属して,消息通であったI.プリエトは,5月以降,何回となく軍事クーデタが起こる可能性を示唆していた。また,ラルゴ・カバリェロ率いる社会党過激派,統一社会主義青年部(社会党+共産党),ならびに共産党は,36年8月半ばころまでは,クーデタをプロレタリア革命への契機とすることを意図していたようである。…

※「プリエト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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