プローム(その他表記)Prome

デジタル大辞泉 「プローム」の意味・読み・例文・類語

プローム(Prome)

ミャンマー中部の都市ピイの英語名。

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改訂新版 世界大百科事典 「プローム」の意味・わかりやすい解説

プローム
Prome

ミャンマー(旧ビルマ)中部の都市。ビルマ語ではピエーPye。人口6万5000(1970)。ヤンゴン(旧ラングーン)の北北西250km,ナウィン川がイラワジ川に流入するその東岸に位置する。1877年に開通したビルマ最初の鉄道ラングーン~プローム線の終点でもある。市街全体が低地雨季にはしばしば浸水する。町の歴史は古く,年代記によれば,16世紀にはすでにビルマ族の太守が配置されていた。1852年の第2次ビルマ戦争の結果イギリス領となり,62年の火災で焼失し新市街が建設された。太平洋戦争当時もしばしば爆撃を受けた。市街地の南東9kmのフモーザには面積13km2ほどの楕円形のピュー族の遺跡があり,遺跡の南,西,南東の3面には,今でも土塁のようになった長大な煉瓦造の城壁跡が残っている。ビルマ語でタイェーキッタヤーと呼ばれるこの遺跡は,サンスクリットシュリ・クシェトラ(吉祥刹土)のことで,玄奘の《大唐西域記》には室利差咀羅,義浄の《南海寄帰内法伝》には室利察咀羅と記されている。遺跡には城壁のほかに,もみ入りの煉瓦で構築された砲弾型のパゴダ仏塔)や方形の寺院などが残っている。遺跡からは,4~5世紀から7~8世紀のものと推定されるピュー語碑文や,ピュー・コインと呼ばれる紋様入りの円形銀貨,大型の石甕や素焼き骨壺などが出土している。また,石製の仏像や青銅製の観音菩薩像,過去四仏の座像浮き彫りにした銀製の舎利容器,パーリ語の縁起法頌や経典の抜粋を刻んだ金板,石製のビシュヌ神像,ラクシュミー女神像,ブラフマー,ビシュヌ,シバの三神像なども発見されており,この地では大乗,小乗の両仏教のほか,ヒンドゥー教も信仰されていたことがわかる。石甕に刻まれた墓碑銘によると,この地には7~8世紀ころ,ビクラマ,バルマンという2系統の王統があったらしい。文献では,9世紀の中ごろ南詔に攻撃されて滅んだとされる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「プローム」の意味・わかりやすい解説

プローム
ぷろーむ
Prome

ミャンマー(ビルマ)中部、イラワディ川下流東岸にある商業都市。ビルマ語でピェーPye。人口12万8700(2003推計)。湿潤なイラワディ・デルタと中部ビルマ乾燥地帯の移行地区に属し、周辺地方の農産物の取引が盛んである。伝統工業が行われ絹織物と漆器を産する。交通の結節点としても重要で、河港があり、イラワディ川水運の中継点となっている。長く首都として政治、経済、文化の中心となっていたヤンゴン(ラングーン)とは鉄道で結ばれ、国道も通じている。東はペグー山脈を越えてシッタン川流域のタウングーヘ、西は対岸からアラカン山脈を越えてベンガル湾まで道路が延びている。市の中心に高さ60メートルのシュウェサンドー・パゴダがあり、毎年11月の祝祭日には多数の信徒が参詣(さんけい)する。南8キロメートルのフーモーザーに、8世紀ころビルマ南部に建国したピュー人の都城シュリ・クシェトラの遺跡があり、土塁やパゴダ、寺院などが残っている。

[酒井敏明]

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百科事典マイペディア 「プローム」の意味・わかりやすい解説

プローム

ミャンマー中部,ヤンゴンの北西約250km,イラワジ川に臨む古都。ビルマ語ではピエーPye。農産物の取引中心地で,生糸,漆器を産する。8―9世紀にはピュー(驃)国の主都,のちインド系のビクラマ王朝の主都であったと推定され,16世紀にはビルマ人の支配地となった。多くの仏教遺跡がある。首都ヤンゴンへ鉄道(1877年開通)が通じる。8万3000人(1983)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プローム」の意味・わかりやすい解説

プローム

「ピェー」のページをご覧ください。

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