ペルト

百科事典マイペディア 「ペルト」の意味・わかりやすい解説

ペルト

エストニア出身の作曲家。ラジオ局の音響技師として働きながらタリン音楽院に学ぶ。12音技法(十二音音楽)その他の前衛的技法を用いた作品を発表後,1960年代後半からマショージョスカン・デ・プレなど中世・ルネサンスの合唱音楽を研究。《チェロ協奏曲・賛と否》(1966年)や3つの交響曲(1963年,1966年,1971年)を経て,ピアノ,合唱とオーケストラのための《クレド》(1968年),2つのバイオリン,プリペアード・ピアノ(ケージ参照)と弦楽オーケストラのための《タブラ・ラサ(白紙)》(1977年),バイオリンとピアノのための《フラトレス》(1977年−1980年,他の編成での改訂版数種)などで,〈調性〉を基盤にした簡潔にして表出力豊かな作風を確立する。1980年オーストリアに亡命し,1982年ベルリン(西ベルリン)に定住。《スタバト・マーテル》(1985年),《ヨハネ受難曲》(1986年),《ミゼレーレ》(1989年)などの宗教音楽で西側の作曲界と聴衆に衝撃を与えた。→グバイドゥーリナクレーメル
→関連項目カンチェリキリスト教音楽グレツキスタバト・マーテル

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ペルト」の解説

ペルト

エストニアの作曲家。プロコフィエフショスタコーヴィチ影響を受けたところから始まり、関心が厳格なセリー技法へと移っていった。東方教会や中世の音楽にも関心を示し、独自の手法を編み出した。自らティン ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android