日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホルバート」の意味・わかりやすい解説
ホルバート(Ödön von Horváth)
ほるばーと
Ödön von Horváth
(1901―1938)
ハンガリー系オーストリアの劇作家。フィウーメ生まれ。1933年以降ナチスによって執筆を禁じられ、オーストリアからパリへ亡命、事故で死んだ。父はオーストリア・ハンガリー帝国の外交官で10回近くも任地を転々。これはホルバートに故郷喪失の根なし草的な、だがその反面では広い国際的視野を備えたコスモポリタンの運命を与えた。加えて第一次世界大戦の体験を基に、彼は激動する1920~30年代のドイツの時代現象を、当時の現実から落ちこぼれた市民層の多数の男女の言動、その意識と意識下のものとの複雑微妙な絡まりを通して巧みな会話体に構成、新しい形の大衆演劇をつくりだした。代表作に『ガーデン・パーティーの夕べ』(1930)、『ウィーンの森の物語』(1931)、小説に『永遠の俗物』(1930)がある。
[棗田光行]
ホルバート(Branko Horvat)
ほるばーと
Branko Horvat
(1928―2003)
旧ユーゴスラビアの経済学者。クロアチア出身。第二次世界大戦中はパルチザン運動に参加し、1955年にザグレブ大学で博士号を取得したのち、58年にイギリスのマンチェスター大学でもPh.D.を取得。その後、ベオグラード大学やオランダのハーグ大学で教壇に立つかたわら、連邦計画庁その他連邦政府の各種委員会の委員を務め、ベオグラード経済研究所および季刊誌『経済分析』を創設した。ザグレブ大学教授も務め、自主管理型社会主義市場経済の代表的論客として国際的に著名。東欧革命とユーゴスラビア連邦崩壊後も、基本的な立場を変えず活躍した。
[佐藤経明]