ドイツの言語学者。デンマークのR.K.ラスクとともに,印欧語比較文法(インド・ヨーロッパ語比較言語学)の創設者といわれる。パリでサンスクリットを独学で習得し,1816年に著したギリシア語などとの比較による《サンスクリットの動詞活用組織について》(1816)によって創設まもないベルリン大学にK.W.vonフンボルトの助力で迎えられ,世界で初めて比較文法の講義をもち,ヨーロッパにおけるその後のこの学問の長い伝統の基をつくった。
彼はその後,印欧諸語の《比較文法》3巻(1833-52)をはじめとして多くの研究を発表したが,それらは今日ではほとんど学問的な価値を失っている。サンスクリットを,すべてにおいて古いとみる立場からくる事実の大きな誤認と,あいまいな方法論による安易な解釈に満ちているからである。しかし,古い印欧語の動詞の人称語尾が代名詞に由来するという解釈は,論証の精密さは比較にならないにしても,今日でも支持者を失っていない。
→比較言語学
執筆者:風間 喜代三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ドイツの言語学者。パリおよびロンドンでサンスクリット語を修め、1821年以降ベルリン大学教授。その初著『サンスクリット語の動詞活用組織とギリシア語、ラテン語、ペルシア語およびゲルマン語のそれとの比較について』(1816)によって印欧語比較文法の創始者と仰がれる。その主著『サンスクリット語、ゼンド語、アルメニア語、ギリシア語、ラテン語、リトアニア語、古スラブ語、ゴート語およびドイツ語の比較文法』3巻(1833~1852)はその後改訂を重ね、英・仏訳も出された。
[松本克己 2018年8月21日]
…その後はロンドン,ケンブリッジ,エジンバラの各大学,その他欧米の主要な大学に開講され,19世紀から20世紀にかけてインド学は長足の進歩をとげた。1816年,シェジに師事したボップF.Bopp(1791‐1867)は,サンスクリットとヨーロッパの諸言語との親縁関係を証明し,それによって比較言語学が独立の学問として成立した。ヨーロッパにおけるインド研究は,ドイツのベートリンクOtto Böhtlingk(1815‐1904)とロートR.Roth(1821‐95)による膨大な《梵語辞典Sanskrit‐Wörterbuch》全7巻(1852‐75)として結実した。…
…その後はロンドン,ケンブリッジ,エジンバラの各大学,その他欧米の主要な大学に開講され,19世紀から20世紀にかけてインド学は長足の進歩をとげた。1816年,シェジに師事したボップF.Bopp(1791‐1867)は,サンスクリットとヨーロッパの諸言語との親縁関係を証明し,それによって比較言語学が独立の学問として成立した。ヨーロッパにおけるインド研究は,ドイツのベートリンクOtto Böhtlingk(1815‐1904)とロートR.Roth(1821‐95)による膨大な《梵語辞典Sanskrit‐Wörterbuch》全7巻(1852‐75)として結実した。…
※「ボップ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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