歴史言語学の一大分野。比較文法comparative grammarともいう。これは任意の言語を比較対照してその異同を論ずるのではなくて,それらの言語が同じ源から分かれた同系の一族であるかどうかを言語学的に検討し,また同系で互いに親族関係にある言語の比較によって,それぞれの言語の歴史において文献的に実証のない空白の部分を理論的に埋め,それによって言語史のより合理的な理解を深めることを目的とする。
この学問は18世紀末にヨーロッパでおこった。そのきっかけはインドのサンスクリット(梵語)という言語が,ヨーロッパ人の古典をつづったギリシア語,ラテン語と非常に類似した文法体系をもち,形にも一致がみられるという事実であった。これが19世紀のロマン主義の波にのって一つの学問となり,インド・ヨーロッパ(印欧)語の比較文法を生むにいたった。その成功は,この語族が資料的に非常に恵まれていたという条件に負うところが大きい。その結果,19世紀末には方法論が確立され,これが同時に今日の言語学の基礎となった。その中心はライプチヒ大学のK.ブルクマンを先頭にする青年文法学派Junggrammatikerにあり,彼らによって真に文献学的・言語学的な研究が各語派にわたって始められた。
二つ以上の言語が互いに親縁関係にある,すなわち,一つの源となる言語から分化したと想定されるためには,その間に一定の音対応が求められなければならない。たとえば英語とドイツ語で同じ意味の語彙を並べてみると,daughter-Tochter,dead-tot,deep-tief,dream-Traum,drink-trinken,do-tun,red-rot,word-Wort,blood-Blut,hard-hartのように,語頭でも語末でも英語d-ドイツ語tという対応がみられる。このような手続きをすべての音に繰り返して,そこに一定の対応関係が得られ,また例外についてはしかるべき説明が与えられる(たとえばstand-stehenはs-との連続という条件にある)ならば,それらの言語は同系とみなされる可能性が強い。言語は時間とともに変化するが,その変化には規則性があり,ある時期にある言語のある調音に変化がおこると,その変化を阻止する特別の条件がない限り,それをふくむすべての語彙に同じ変化が及ぶから,長い年月ののちにも,同じ源から維持されてきた形は別々に変化を受けながらも一定の関係が成り立つのである。逆に,歴史の途中で他の言語から借用された形は,その時期以前の変化を経験しないから音対応の例外となって出てくる。その場合にはそれらの形は系統問題から除外される。
音対応のほかに比較文法に重要なことは,特異な文法現象の一致である。たとえばインド・ヨーロッパ語のto beをあらわす英語is,ドイツ語istのような動詞は,多くの言語で不規則形として扱われている。にもかかわらず,古代語から近代語まで,この動詞の対応,用法には正確な一致があり,ドイツ語ist-sindのような単複数形の示すis-とs-という交替も,ラテン語est-suntにみるように,es-とs-としてあらわれている。こうした文法面での不規則形の対応は,語順のような類型的な現象とは異なり,その語族に特有の現象であるから,系統を決定する重要な決め手となる。しかし,世界の言語の中には,日本語をはじめ比較言語学が成立していない分野も多く残されている。
→インド・ヨーロッパ語族 →言語学
執筆者:風間 喜代三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
共通の起源を有する諸言語を比較することによって、それらの相似・異同の関係を歴史的・発生的に考察する言語学の一部門。歴史比較言語学ともいう。起源を同じくする諸言語を同系語、その源となった言語を祖語または共通基語、そしてこのような同一の祖語から分岐した(と想定される)諸言語の総体を語族とよぶ。従来の言語の分類は、多くの場合、このような語族に基づいて行われている。たとえば、インド・ヨーロッパ(印欧)語族、ウラル語族、アルタイ語族、ハム・セム語族、バントゥー語族、オーストロネシア語族、シナ・チベット語族などである。ラテン語はギリシア語やサンスクリット語などとともに印欧語族に属するが、スペイン語、フランス語、イタリア語などのロマンス諸語はこのラテン語を祖語とし、そこから分岐した別個の下位語族を形づくる。同系語のもっとも大きな群を語族、それの下位群を語派とよぶことがあるが、同系関係に基づく言語群にはさまざまな段階がありうる。
ロマンス語に対するラテン語のように、祖語が判明している場合はむしろまれで、多くは失われて伝わらず、したがって諸言語の同系関係は理論上の推定にとどまることが多い。しかし、言語の変化はけっしてでたらめではなく、高度の規則性に支配されており、同一の言語から分岐した同系諸言語の間には、音韻、形態、語彙(ごい)の各面において規則的な類似現象が認められる。このような現象を対応とよび、とりわけ音韻の対応関係には著しい規則性が現れ、これを音韻対応の法則、または単に音法則と称する。歴史言語学のもっとも基本的な手段とされる比較方法とは、このような同系言語間に観察される対応の規則性をよりどころとして、失われた祖語を再建し、この推定上の祖語と関連づけることによって、問題の諸言語間の関係を歴史的つまり通時的に明らかにする説明方式であり、この方式による同系諸言語の記述を比較文法という。近代の言語学は19世紀の初頭に誕生した「印欧語比較文法」によって始まり、この分野で研究上の方法や諸原則が確立され、整備された。以来、比較方法は他の多くの語族にも適用され、それなりの成果をあげている。ただし、この方法は、あくまでも同系関係が前提とされる諸言語に適用されて初めて有効に働くのであって、この関係が不明の場合や、またかりに同系であっても、その関係が非常に遠いために対応の規則性が発見できないような場合には、その適用はほとんど無効である。比較方法は、言語の系統関係そのものを究明するためのものではなく、それを対象とする研究は別に言語系統論とよばれる。
また、人類言語の多様性と類似性を生み出した諸要因は、かならずしも同一起源からの分岐的な発達だけによるものではない。系統を異にする諸言語が同一の地域で長期にわたって相互接触を続けた場合、それらの諸言語の間に著しい共通特徴が発達することがある。このような地域的な諸特徴を共有する一群の言語を言語連合Sprachbundまたは言語圏と称する。言語変化の地理的な伝播(でんぱ)に基づくこのような収束的発達に対しても比較方法は適用できない。このような現象を取り扱うのは言語地理学や地域言語学の役目である。また、系統的関係を顧慮することなしに諸言語を比較考察し、それらの類型化や人類言語の普遍性を究明する分野として言語類型学、特定言語の個別的特徴の研究に重点を置く対照言語学などがある。
[松本克己]
『高津春繁著『比較言語学』(1950・岩波書店)』▽『W・B・ロックウッド著、永野芳郎訳『比較言語学入門』(1978・大修館書店)』
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…通時言語学の一つの分野で,個々の単語などの語源を追及する分野を〈語源学〉(〈語源〉の項を参照)と呼ぶ。 同一の言語から分岐して成立した複数の言語(方言)の比較によって,もとの言語(〈祖語〉)の姿を推定(〈再建〉)したり,分岐の過程を推定したり,あるいは,同一の言語から分岐した可能性のある複数の言語を比較して,それらが同一の言語から生じたこと(系統的親近関係の存在)を証明しようとする分野を〈比較言語学〉と呼び,そこで用いられる方法を〈比較方法〉と呼ぶ。音韻変化がおおむね規則的であることが最もよく利用される。…
※「比較言語学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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