改訂新版 世界大百科事典 「ポジティビズム運動」の意味・わかりやすい解説
ポジティビズム運動 (ポジティビズムうんどう)
一月蜂起後のロシア領ポーランドで1870年代に起こった,蜂起の伝統に批判的な新しい世代による運動。〈ポジティビズムpozytywizm〉の名称は,彼らが自分たちの発言の正当性を西欧の実証主義哲学(ポジティビズムpositivism)によって根拠づけたところからくる。運動は1862年にワルシャワ中央学校の名前で再興されたワルシャワ大学の卒業生を中心に展開されたが,なかでも有名だったのが〈新世代の首領〉と呼ばれたシフィエントホフスキである。そのほかプルス,シェンキエビチ,オジェシュコバらも,この運動の支持者として知られている。彼らは日常的な生産労働や,地道な社会問題の解決を軽視する旧世代のロマン主義的な考え方を批判した。武装蜂起こそ独立に至る最短の近道であるとした旧世代の考え方は,かえって弾圧政策とそれによる社会や経済の荒廃を招き,独立の実現を遅らせるだけであるとしたのである。むしろ日常的な生産労働や貯蓄に励み,殖産興業を実行することによってひとりひとりのポーランド人が金持ちになるべく努力すること,また貧困,反ユダヤ主義,売春などの社会問題をひとつひとつ解決していくこと,これが結果的にはポーランド社会全体を富ませ健全化することになり,やがては独立の実現に結びつくことになると彼らは主張した。
しかしポジティビズム運動は奇妙な運動であった。シュラフタ出身の知識人がシュラフタの価値観を拒否し,自分たちにはなじまないはずのブルジョアジーの価値観を擁護したからである。果たせるかな,80年代になると,ポジティビズム運動の非政治的な姿勢を批判する運動が新しく登場してくる。82年の〈プロレタリアート党〉の結成に始まる社会主義運動と,87年の〈ポーランド同盟〉の結成に始まるナショナリズム運動がそれである。いずれの場合も,その指導者はシュラフタ出身の知識人であった。もっとも,社会主義運動が蜂起の伝統を復活させただけであったのに対して,ナショナリズム運動はポジティビズム運動の遺産をよく継承していた。現実主義的なドモフスキの思想にそれがよく表れている。なおプロイセン領ポーランドとオーストリア領ポーランドにもポジティビズム運動に似たものはあったが,状況が違っており,ロシア領ポーランドのものとはあくまでも区別されるべきである。
執筆者:宮島 直機
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報