実証主義期のポーランド文学を代表する作家。一月蜂起参加者。時事評論家,ユーモア作家として出発し,1874年から短編小説の筆を執った。初期の短編は実証主義的な教訓臭が強いが,後期には,的確な社会観察と斬新な心理描写をもとに抑制のきいた,ユーモアと人情味あふれる語り口で社会的不正に苦しむ〈底辺〉の人々を描いた《ミハウコ》(1880。邦訳《椋のミハイル》),《アンテク》《手回し風琴》(ともに1881),《チョッキ》(1882)などの傑作を残した。84年以降おもに長編を手がけ,農地解放後のポーランド農民の劇的状況を描いた《前哨》(1885),時代の大きな問題であった女性解放を扱った《解放された女性》(1890-93発表),同時代のポーランド社会への暗示が明瞭な,古代エジプトを題材にとった歴史小説《ファラオ》(1895-96発表),そしてプルス最高の作品であり,80年代実証主義文学の最も円熟した作品とされる《人形》(1887-89発表)を著した。《人形》は当時のポーランドの社会と風俗のパノラマをもとに,〈諸国民の春〉から一月蜂起,実証主義運動,1880年代までのポーランド史の検討を企図した壮大な叙事詩である。これらの作品の根底にはH.スペンサーの社会有機体説に基づく社会観が貫かれているが,資本主義の発展がもたらした社会的矛盾による80年代の実証主義理念の危機も鮮明に表現されている。
執筆者:小原 雅俊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ポーランドの小説家。本名アレクサンデル・グウォバツキ。没落した小貴族の家に生まれたが両親を早く失い、おもにルブリンの親戚(しんせき)のもとで成長した。少年時代から愛国独立運動に参加、一月蜂起(ほうき)(1863~64)に加わって負傷、ルブリンの監獄に入れられた。釈放後高校を卒業したが大学は中退、ジャーナリストとして、独立直前のポーランド社会の悲惨な状態を暴いた。のち創作に移り、短編『ミハウコ』(1880)、『チョッキ』(1882)などでは、貧しい人々への同情をユーモラスな筆致に込め、最初の長編『とりで』(1886)では、ドイツ植民主義者から土地を守る農民の姿を描いた。長編『人形』四巻(1887~89)は貴族から貧民に至る広範な社会層のさまざまな人間関係を分析した代表作である。また、大衆小説『ファラオ』(1896)もある。
[吉上昭三]
『梅田良忠訳『チョッキ』(『世界文学体系93 近代小説集』所収・1965・筑摩書房)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 一般に,アマゾン川の名で呼ばれているこの大河は,本流ぞいにアンデス山地の源流からイキトスまでをマラニョン川,ここからネグロ川の合流点までをソリモンエス川,そして河口までをアマゾナスと呼んだりする。また支流もさまざまで,その長さが1000kmを超えるものが20にも及び,中でもマデイラ川は全長3350km,ジュルア川は約3300km,プルス川は約3150km,ネグロ川とタパジョス川はともに約2000kmと,長大な支流が多い。さらにアマゾン川は,その勾配がきわめて小さく,河口から1450km上流のマナウスで標高が約30mであるし,3800km上流のペルーのイキトスでさえ標高は約80mにすぎない。…
…運動は1862年にワルシャワ中央学校の名前で再興されたワルシャワ大学の卒業生を中心に展開されたが,なかでも有名だったのが〈新世代の首領〉と呼ばれたシフィエントホフスキである。そのほかプルス,シェンキエビチ,オジェシュコバらも,この運動の支持者として知られている。彼らは日常的な生産労働や,地道な社会問題の解決を軽視する旧世代のロマン主義的な考え方を批判した。…
※「プルス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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