改訂新版 世界大百科事典 「グレンジャー運動」の意味・わかりやすい解説
グレンジャー運動 (グレンジャーうんどう)
Granger Movement
1870年代にアメリカ中西部を中心として全国に広がった農民運動。1867年にケリーOliver H.Kelleyが創設した全国農業保護者連盟National Grange of the Patrons of Husbandry,通称グレンジ(支部の意)による農民の社交親睦活動として発足したが,政府のデフレ政策や69年以降の農産物価格下落によって,農民の生活が圧迫されるにともない,運動の重点はその対抗策,すなわち,協同組合活動と,鉄道運賃と倉庫料金の統制を訴える政治活動へと移っていった。協同組合は中間搾取を排除して生産者と消費者を直結する目的で組織されたもので,農機具や日用品の購入,農産物の販売,農機具製造,銀行保険業等の活動を行った。また,当時は高い鉄道運賃,鉄道会社によるさまざまの不正・差別行為,そして穀物倉庫の高料金が農民の強い不満の対象となっていたので,グレンジ会員は組織の活動とは別に集会を開き,鉄道・倉庫の独占的横暴を非難するとともに,州議会に代表を選出して,それら企業を規制するための立法活動を推進した。その結果71年のイリノイ州を皮切りに,ミネソタ,アイオワ,ウィスコンシン等中西部各州で,鉄道と倉庫の料金に上限を規定し,不公正な差別待遇を禁止する法律(いわゆるグレンジャー法)が次々と制定された。自由放任主義経済が至上とされた時代に,公権力が民間企業活動を規制する州法が成立したことは画期的な意味をもっていたが,当然企業側の反発するところとなり,76年から77年にかけてこれらグレンジャー法は連邦最高裁判所で合憲性が争われることになった。一連のグレンジャー事件のうち,最も代表的なのは77年のマンMunn対イリノイ州事件であるが,原告の倉庫業者が憲法第14修正をたてに私有財産権の侵害を訴えたのに対し,最高裁は,公共の利益に関係した私企業の規制は州の権限の範囲内にあると判断し,グレンジャー法に合憲の判決を下した。この原則は86年,連邦議会のみが州際通商を規制しうるとした最高裁判決で覆されるまで生き続けた。一方,グレンジは1875年に最盛期を迎え,会員数約86万人を数えた。しかしその後は農村景気の一時的回復と協同組合活動の失敗がたたり,急速に衰退に向かった。しかし,19世紀の末ごろからは再び徐々に勢力を回復し,アメリカの代表的な農民団体として今日にいたっている。
→州際通商法
執筆者:平野 孝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報