マイケルソン(読み)まいけるそん(英語表記)Albert Abraham Michelson

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マイケルソン」の意味・わかりやすい解説

マイケルソン
まいけるそん
Albert Abraham Michelson
(1852―1931)

アメリカの物理学者プロイセンに生まれ、幼時、両親とともにアメリカに移住。1873年海軍兵学校を卒業し、数回の航海ののち、母校の物理学の講師となる。1880~1882年ドイツ、フランスに留学、ヘルムホルツらに師事した。その後1882年オハイオ州のケース応用科学大学、1889年マサチューセッツ州のクラーク大学、1893年シカゴ大学の物理学教授を歴任した。1920年代に入ると、カリフォルニア工科大学で研究することが多くなった。研究テーマは一貫して光速精密測定に関連したものであった。ベルリンに留学中、電磁現象の担い手(したがって光の媒質でもある)として宇宙空間に静止してあまねく存在するものと想定されていたエーテルに対する、地球の相対運動を実験的に検出する方法を考え実行に移した。その原理は、地球上の光源からの光を互いに直交する方向に往復させたあと干渉させ、さらに装置全体を水平面内で回転させて干渉縞(じま)の移動を見る、というものであった。実験結果は相対運動がないことを示した。1887年にモーリーと共同して精度を高めた実験を行ったが、結果はやはり否定的であった。のちにミラーDayton C. Miller(1866―1941)が1925~1926年に行った同種の実験で、太陽系の絶対速度が秒速200キロメートルであることを示す結果を得たと発表、マイケルソンらも追試を行ったが、ミラーの結果は再確認されなかった。

 マイケルソンらの実験は相対性理論と一致するものであるが、マイケルソン‐モーリーの実験結果を説明することを直接的契機としてアインシュタイン特殊相対性理論を生み出したとする理解は、近年の科学史研究により否定されている。

 マイケルソンがこうした実験のため改良した干渉計マイケルソン干渉計)は、それ自体、実験物理学上の重要な功績であり、彼は光速の値そのものの精密測定においても貴重な貢献をした。また、1892~1893年には、パリのメートル原器の長さがカドミウムの赤色スペクトル線の波長の何倍かを測定し、その波長を長さの標準とすることを提案した。干渉計の考案とそれによる分光学およびメートル原器に関する研究で1907年にノーベル物理学賞を受賞した。アメリカ人として初めてのノーベル賞受賞であった。

[杉山滋郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マイケルソン」の意味・わかりやすい解説

マイケルソン
Michelson, Albert Abraham

[生]1852.12.19. スチェルノ
[没]1931.5.9. カリフォルニア,パサディナ
ポーランド生れのアメリカの物理学者。 1854年2歳のときに一家で渡米。アナポリス海軍兵学校卒業後,そこで物理と化学を教えた (1875~79) 。ドイツとフランスへ留学 (80~82) 。帰国してクリーブランドの応用科学ケース・スクール教授 (83) 。クラーク大学教授を経て,シカゴ大学教授 (92) 。 81年マイケルソンの干渉計を発明し,それを用いて光速度の厳密な決定を行なったほか,E.モーリーと共同で地球と光の媒体としてのエーテルの相対速度の変化を検出する実験 (マイケルソン=モーリーの実験 ) を行なった (87) 。この実験結果はアインシュタインが光速度不変の原理を確立する有力な動機となった。そのほか,長さの基準として光の波長を用いる提案 (93) ,天体の直径の測定 (1920) などを行なった。 1907年ノーベル物理学賞を受賞した。

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