クリーブランド(読み)くりーぶらんど(その他表記)Cleveland

翻訳|Cleveland

デジタル大辞泉 「クリーブランド」の意味・読み・例文・類語

クリーブランド(Cleveland)

米国オハイオ州工業都市エリー湖南岸にある。鉄鋼石油化学・自動車などの工業が盛ん。人口、行政区43万(2008)。

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精選版 日本国語大辞典 「クリーブランド」の意味・読み・例文・類語

クリーブランド

  1. ( Cleveland ) アメリカ合衆国オハイオ州北東部にある都市。五大湖の一つ、エリー湖の南岸にある重化学工業都市で、五大湖有数の港湾をもつ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クリーブランド」の意味・わかりやすい解説

クリーブランド(アメリカ合衆国)
くりーぶらんど
Cleveland

アメリカ合衆国、オハイオ州北東部、エリー湖岸にある工業都市。人口47万8403(2000)。ニューヨーク、シカゴという二大都市を結ぶ、合衆国でもっとも人口集積、工業集積の高い地域の中間点に位置する利点を有し、同市の大都市圏人口は全米第19位、州人口の30%が同市を含むグレーター・クリーブランド(カホーガ郡)に集中している。大市場を控え、ミネソタの鉄鉱石、ペンシルベニアの石炭、石油など工業原料が容易に入手できるという恵まれた条件を生かし、大工業都市として発展している。五大湖最大の鉄鉱石受容高を誇る港は、工業製品の輸出港としても活躍するほか、11の航空会社の入るクリーブランド・ホプキンズ国際空港や、鉄道、ハイウェーなどの陸上交通網も発達し、交通の要衝としても重要である。経済の支柱をなす工業は多様化しているが、なかでも工作機械、工業装置は合衆国最大の生産地の一つである。そのほか製鉄、鉄鋼、自動車、製油、食品加工なども盛ん。工業化に伴ってエリー湖、カホーガ川などの水質汚濁大気汚染がクローズアップされ、長年の懸案となっていたが、近年はクリーンアップ作戦がかなりの効果を現し、ダウンタウンの再開発も進められた。

 1796年、コネティカットのクリーブランドMoses Cleaveland(1754―1806)により町が創設され、1836年に市制が施行された。1832年のオハイオ‐エリー運河の開通が商工業の発達への大きなきっかけとなった。南北戦争に前後して鉄鋼業、石油工業の中心地となり、これを契機に、国内はもとよりヨーロッパ各地から高い技術を有する労働者が集まり、その多くが定着した。彼らの技術が、同市の中心工業となった工作機械、自動車部品工業の発展に大きく寄与した。J・ロックフェラー、ウェードJeptha Homer Wade(1811―1890)など多くの後援者にも恵まれて、クリーブランドは工業都市であると同時に、合衆国有数の教育・文化の中枢都市として名高い。同市を中心としたグレーター・クリーブランド圏内は質・量ともに優れた施設を誇り、ケース・ウェスタン・リザーブ大学、州立大学、クリーブランド美術大学、クリーブランド音楽大学、ノートルダム女子大学がその中心をなす。とくに研究・技術部門に優れ、大学の研究施設以外にも電気・航空機関係企業の研究所が多い。心臓・肝臓を主とした医療技術の研究は世界の最先端をゆき、前記のケース・ウェスタン・リザーブ大学やクリーブランド・クリニックがその中心をなしている。多様な人種の集まりで文化的にも多様化し、しかも質も高い。世界的に有名なクリーブランド管絃楽団の本拠地となるシビアランス・ホールやセブランス・ホール、クリーブランド美術館や自然科学博物館が多く集まるユニバーシティ・サークルは同市の文化の中心地といえる。中央のパブリック・スクエアを軸に、同市を囲むように整然と配置された総面積7082ヘクタールの美しい都市公園は、エメラルド・ネックレスとよばれて市民に親しまれている。また、野球、フットボール、テニス、スキーなどスポーツ施設も整備されている。

[作野和世]


クリーブランド(Stephen Grover Cleveland)
くりーぶらんど
Stephen Grover Cleveland
(1837―1908)

アメリカ合衆国第22代、第24代大統領(在任1885~89、1893~97)。3月13日ニュー・ジャージー州に生まれる。弁護士、バッファロー市長(1881~82)、ニューヨーク州知事(1883~85)を経て、1884年大統領選挙で辛勝、南北戦争(1861~65)後初の民主党政権を実現し、自由放任を信奉し、保護関税に反対した。92年選挙で再選され、93年恐慌に東部大資本と結んで対処、通貨膨張に反対して銀購入法を撤廃し、関税引下げに努め、プルマン・スト弾圧のため連邦軍を派遣した。対外的には自由貿易帝国主義を推進、海外領土獲得に反対する立場から93年、議会のハワイ併合案を拒否したが、他方、貿易の増進と海外市場拡張に力を注ぎ、イギリスに対抗して西半球でのアメリカの覇権を主張。96年選挙で民主党自由銀派のブライアンに大統領候補指名を奪われ、政界を退いた。1908年6月24日没。

[高橋 章]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クリーブランド」の意味・わかりやすい解説

クリーブランド
Cleveland, (Stephen) Grover

[生]1837.3.18. ニュージャージーコールドウェル
[没]1908.6.24. ニュージャージー,プリンストン
アメリカの政治家。第 22,24代大統領 (在任 1885~89,93~97) 。民主党に属し 81年バッファロー市長,83年ニューヨーク州知事に就任。南北戦争以来 23年間政権の座を維持してきた共和党の抗争に助けられ,共和党改革派からも支持されて 84年の選挙に当選。ニューヨーク州知事時代は改革派として知られたが,経済思想は保守的で,再建期から続いた実業家と二大政党の保守派との癒着による「金権政治」を存続させた。 87年の「州際通商法」で鉄道運賃の規制をはかったが,保護関税の低下には失敗し,88年の選挙では共和党の B.ハリソンに敗れた。この「金権政治の時代」に農民たちは,不満を組織化し人民党運動を展開,92年の大統領選挙に独自の候補を立てて争ったが,クリーブランドはかろうじて当選した。 93年恐慌がアメリカ経済を襲い難局に直面したとき,彼はシャーマン銀購買法の廃止その他の政策を打出したが経済の回復は進まなかった。一方ストライキや反政府抗議デモをきびしく弾圧し,特にユージン・デブズの指導するプルマン・ストライキに対しては,連邦軍を送って鎮圧するなどして,労働者の反感を買い,クリーブランドと民主党政権は世論の非難を浴びた。 96年の民主党大会では,大統領候補の再指名を受けたが,民主党内の反対派により,指名決議を拒否され,翌年引退。

クリーブランド
Cleveland

アメリカ合衆国,オハイオ州北東部の都市で,州最大の商工業都市。カイホーガ川の河口で,セントローレンス水路にのぞむ。エリー湖の南岸に位置し,水陸交通の要地でもある。かつてはインディアンとフランス人の交易の場所として栄えた。 1825年のエリー湖と大西洋を結ぶエリー運河の完成,30年のオハイオ=エリー運河の完成,さらに鉄道開通とともに木材,銅,鉄鉱石,石炭,農産物の積替え港として発展。南北戦争は市の発展のきっかけとなり,J.ロックフェラーがここにスタンダード石油会社を設立した。現在では重工業が盛んで,鉄鋼,アルミニウム,機械,自動車,航空機部品,電気器具などを生産。国際空港,クリーブランド州立大学 (前身は 1923創立のフェン・カッレジ) ,クリーブランド管弦楽団,クリーブランド美術館および全国有数の規模を誇る公立図書館などがある。人口 39万6815(2010)。

クリーブランド
Cleveland

イギリスイングランド北東部の旧県名。1974年の自治体再編で旧ダラム県と旧ヨークシャー県の各一部をもって新設。1996年に廃止され,ストックトンオンティーズハートルプールミドルズブラレッドカー・クリーブランドの 4単一自治体(ユニタリー unitary authority)に分割された。

クリーブランド
Cleveland

アメリカ合衆国,テネシー州南東部,チャタヌーガの北東にある都市。 1832年インディアンのチェロキー族が退去したあとに創設。南北戦争のときに北軍のグラント将軍やシャーマン将軍がここを本営とした。現在市の経済を支えているのは,野菜,綿花,コムギなどの農産物と,ガスおよび電気レンジ,家具,繊維,衣料,化学などの工業である。チェロキー国有林をひかえ,行楽地も多い。リー大学 (1918創立) がある。人口3万 354 (1990) 。

クリーブランド
Cleaveland, Moses

[生]1754.1.29. コネティカット,カンタベリー
[没]1806.9.16.
アメリカの法律家。独立革命軍に参加したのち,コネティカット土地会社の理事として会社の土地購入,西部開発に従事した。 1796年オハイオ州クリーブランド市の基となる入植地を建設した。

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改訂新版 世界大百科事典 「クリーブランド」の意味・わかりやすい解説

クリーブランド
Stephen Grover Cleveland
生没年:1837-1908

アメリカ合衆国第22代(在職1885-89)および第24代(1893-97)大統領。ニューヨーク州バッファロー市長(1882-83),ニューヨーク州知事(1883-85)時代の市政改革,反ボス政治の姿勢を買われ1884年,南北戦争後初の民主党大統領に当選。関税問題などが災いし88年再選を阻止される。92年に再選されたが翌年恐慌に見舞われる。金本位制維持の立場から,シャーマン銀購入法を撤廃(1893)する一方,公約の関税引下げを試みたが,保護関税派の反対にあい果たせず,インフレ策を求める民主党員らの不満を買う。94年のプルマン・ストライキではスト禁止命令を発する一方,連邦軍を派遣してストを鎮圧したことから,労働者の反発を招く。恐慌および党内の分裂の責任を問われ,96年にその政治生命を終える。外交面ではベネズエラ国境紛争に介入しイギリスにモンロー主義を再確認させる。ハワイ併合に反対する一方,キューバの内乱に中立の態度をとり,一貫して反帝国主義者の立場をとった。
執筆者:


クリーブランド
Cleveland

アメリカ合衆国オハイオ州北東部の工業都市。人口45万2208(2005),大都市域人口222万(1992)。エリー湖に面し,ニューヨークとシカゴの中間にあって中西部工業地帯を代表する。市名は,この地を測量したモーゼス・クリーブランドにちなむ。五大湖水運およびオハイオ・エリー運河の便に恵まれ,近隣に石炭,鉄鉱石が存在することが,工業都市としての繁栄をもたらし,J.D.ロックフェラーやマーク・ハナなどの大実業家を生んだ。市の中心を通るユークリッド通りは,かつて富豪通りと呼ばれ,南東部のシェーカー・ハイツは有名な郊外住宅地。外国移民が多く,第2次大戦後は黒人人口が急増した。クリーブランド管弦楽団は著名。市内には公園や文化的施設も多い。
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百科事典マイペディア 「クリーブランド」の意味・わかりやすい解説

クリーブランド

米国の政治家。第22,24代大統領(1885年―1889年,1893年―1897年)。ニューヨーク州知事をつとめた後,南北戦争後初の民主党の大統領。内政においては金本位制の維持に努め,外交については反帝国主義の立場からハワイ併合に反対,ベネズエラ国境紛争に際してはモンロー主義を援用して対英強硬策を採った。
→関連項目民主党(米国)

クリーブランド

米国,オハイオ州最大の商工業都市。エリー湖南岸の港湾都市で,鉄道の要地でもある。製鉄,製油,機械,自動車,木工品などの工業が行われる。市内には11の大学と39の公園があり〈森林の町〉と呼ばれる。19世紀前半,オハイオ川とエリー湖を結ぶ運河および鉄道が開通して発展。39万6815人(2010)。
→関連項目オハイオ[州]

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旺文社世界史事典 三訂版 「クリーブランド」の解説

クリーブランド
Stephen Grover Cleveland

1837〜1908
アメリカ第22・24代大統領(在任1885〜89,93〜97)
ニューヨーク州知事をへて,1885年南北戦争後初の民主党大統領となったが,次期は落選し,93年再選された。保護関税を引き下げ,共和党の帝国主義的拡張政策に反対した。

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