マイノット(読み)まいのっと(英語表記)George Richards Minot

デジタル大辞泉 「マイノット」の意味・読み・例文・類語

マイノット(Minot)

米国ノースダコタ州北部の都市。北欧系移民の子孫が多く居住し、毎年10月に北米最大の北欧系アメリカ人の祭典が催される。スカンジナビアンヘリテージパーク、マイノット空軍基地が所在

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マイノット」の意味・わかりやすい解説

マイノット
まいのっと
George Richards Minot
(1885―1950)

アメリカの内科医血液病学者。ボストンの生まれ。1912年ハーバード大学を卒業し、1928年同大学内科学教授となる。そのころ彼は、ロチェスター大学の病理学教授ホイップルが二次性貧血イヌ肝臓食で改善させた研究報告を知り、助手マーフィーとの共同研究で、悪性貧血、低色素性貧血、顆粒(かりゅう)球減少症などの患者にこの治療法を応用した。その結果、よい成績をあげ、1926年に「特別食による貧血療法」として発表した。1934年、マイノットは、ホイップル、マーフィーとともに、ノーベル医学生理学賞を受けた。彼は終生血液疾患の研究を続け、糖尿病を患っていたが、1922年からインスリン注射で延命し、内外の多くの栄誉を受けた。

古川 明]

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改訂新版 世界大百科事典 「マイノット」の意味・わかりやすい解説

マイノット
Charles Sedgwick Minot
生没年:1852-1914

アメリカの解剖学者,発生学者。マサチューセッツ州ロクスバリで富裕な農園主の子に生まれ,幼時から博物学に興味をもち,17歳で昆虫や鳥の生活について論文を発表した。1872年マサチューセッツ工科大学卒業,ハーバード大学院に進み,73年ライプチヒ,パリへ留学し76年帰国。ハーバードで組織学,発生学を研究し92年同教授。1886年顕微鏡用の切片標本を作るための自動回転式ミクロトームを発明し,広く各国で使用された。97年全米科学アカデミー会員に選ばれ,また全米科学振興協会など多くの学会会長を務めた。
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百科事典マイペディア 「マイノット」の意味・わかりやすい解説

マイノット

米国の医学者。ハーバード大学に学び,のち同大学教授。マーフィーらとともに悪性貧血の治療法として肝臓を主とした食事療法を提唱した。1934年ノーベル生理医学賞。
→関連項目ホイップル

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マイノット」の意味・わかりやすい解説

マイノット
Minot, George Richards

[生]1885.12.2. ボストン
[没]1950.2.25. マサチューセッツ,ブルックライン
アメリカの医師。 1912年ハーバード大学卒業。 15~23年マサチューセッツ総合病院に勤務し,輸血と血液病を研究。 28年にハーバード大学医学部教授となり,ボストン市立病院院長およびソーンダイク記念研究所所長を兼任。 26年にウシの肝臓を主とした肝臓食で悪性貧血患者の治療に初めて成功。この功績により W.マーフィー,病理学者 G.ホイップルとともに,34年ノーベル生理学・医学賞を受賞。

マイノット
Minot

アメリカ合衆国,ノースダコタ州北西部の都市。カナダ国境まで約 80kmの地で,スーリー川南岸にある。 1886年にグレートノーザン鉄道の工事場が市の起源になった。現在は地方の商業中心地で,農産物加工が市の経済を支えている。付近に褐炭,石油の産地がある。空軍基地,州立教員養成大学の所在地。人口3万 4544 (1990) 。

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367日誕生日大事典 「マイノット」の解説

マイノット

生年月日:1852年12月23日
アメリカの解剖学者,動物学者
1914年没

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