日本大百科全書(ニッポニカ) 「マギンダナオ」の意味・わかりやすい解説
マギンダナオ
まぎんだなお
Magindanao
おもにフィリピン、ミンダナオ島中央部のプラギ川流域に居住する民族集団。マギンダナオ語を共通言語とした、ムスリム(イスラム教徒)である。「マギンダナオ」とは、「河川の氾濫原(はんらんげん)に住む人々」の意。マギンダナオ語を母語とする人口は約18万人(1995)である。
マギンダナオのおもな生業形態は農業と漁業である。低地部では水田稲作、山地部では陸稲やトウモロコシが栽培されている。米のほかにヤムイモやサツマイモ等のイモ類が主食である。換金作物としてはココヤシ栽培が盛んである。河川流域や沿岸部でとる魚はマギンダナオの重要なタンパク源である。女性は農業に従事するほか、マットやニッパヤシで屋根材、籠(かご)などを編んで現金収入を補足している。
14世紀ごろにイスラム教がフィリピン諸島に伝来、16世紀前半にムスリムの首長国であるマギンダナオ王国(マギンダナオ・スルタネイト)が形成された。16世紀後半、マニラを拠点としたスペイン植民地政府がミンダナオ島に遠征軍を派遣、スペイン軍の進攻に対してマギンダナオ王国は激しく抵抗し、実質的な植民地支配は及ばなかった。王国7代目の首長クダラトは、傑出した政治的手腕を発揮し、イスラムに基づく統治を強く意識した「国家」体制を整え、17世紀中ごろにはミンダナオ島全土がマギンダナオ王国の影響下に置かれた。しかし、19世紀後半には内部分裂などによって弱体化し、1898年からアメリカの植民地支配下に編入されていった。
マギンダナオ王国は、スルタン(イスラムの首長)、貴族、平民、奴隷で構成される階層制社会であった。貴族層は、アメリカ植民地時代(1898~1946)にムスリム社会を間接的に統治するための「協力者」として植民地体制に編入され、フィリピン共和国独立(1946)後も、政治家、法律家、宗教的指導者、地主としてマギンダナオ社会における影響力を保持し続けている。
[石井正子]
ムスリム側の主張
マギンダナオを含むムスリムの人々は、フィリピン中央政府に対して分離運動を展開してきた。かつてスペイン植民地勢力と果敢に戦った歴史は、フィリピン・ムスリムの誇りであるとの解釈から、1960年代後半、フィリピン・ムスリムをさす「モロMoro」という蔑称(べっしょう)をあえて自称として用いる民族運動が起こった。1972年当時の大統領マルコスが戒厳令を布告すると、ムスリム諸集団はモロ民族解放戦線(MNLF)を中心に分離独立(のちに自治)を目ざす闘争を開始、政府軍との武力衝突も発生する。マギンダナオの有力政治家一族の出身者であるハシム・サラマトは、MNLF発足当時の指導者の一人だが、1970年代後半にはMNLF議長ヌル・ミスアリ(タウスグ出身)と決別し、後にモロ・イスラム解放戦線(MILF)を組織した。
1996年9月にMNLFはフィリピン政府との和平に合意し、3年後に自治政府樹立を準備するために南部フィリピン和平開発評議会(Southern Philippines Council for Peace and Development)が設立された。政府とMILFとの和平交渉は平行線をたどっている。
[石井正子]
『『鶴見良行著作集7 マングローブ』(1999・みすず書房)』