マクラウド(読み)まくらうど(英語表記)Henry Dunning Macleod

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マクラウド」の意味・わかりやすい解説

マクラウド(John James Rickard Macleod)
まくらうど
John James Rickard Macleod
(1876―1935)

カナダの生理学者。インスリン発見者の一人。スコットランドに生まれる。1898年にアバディーン大学を卒業して医師となり、生理学を専攻した。1903年、アメリカ、オハイオ州クリーブランドウェスター・リザーブ大学教授として招かれ、1918年にカナダのトロント大学生理学教授に任ぜられた。彼がF・G・バンティングとC・H・ベストの「糖尿病膵臓(すいぞう)の内分泌」のむずかしい実験、研究を指導したのは45歳のころで、もっとも脂の乗ったときであった。1923年に、マクラウドとバンティングはインスリンの発見でノーベル医学生理学賞を受けた。のちマクラウドは王立協会会員、ロンドン王立医学校、エジンバラ王立学士院の特別会員に選ばれ、内外の多くの大学から名誉博士号を受け、多くの医学会の名誉会員に推された。1928年、母校のアバディーン大学の生理学欽定(きんてい)講座担当教授となり、同地で59年の生涯を閉じた。

古川 明]


マクラウド(Henry Dunning Macleod)
まくらうど
Henry Dunning Macleod
(1821―1902)

イギリスの経済学者。エジンバラに生まれる。1843年ケンブリッジトリニティ・カレッジを卒業し、しばらくは法律家として身をたてたが、のち経済学の研究に専念した。マクラウドの業績はとくに金融論分野で高く評価されているが、そのなかでもっとも著名なのは本格的信用創造理論を展開したことである。すなわち、銀行を単に預金を受け入れて貸出を行う機関だとする定義に反対し、信用創造機関として位置づけた。マクラウドの信用創造理論はその後多くの経済学者によって発展されて今日に至っている。マクラウドの著作としては『銀行業の理論と実際』The Theory and Practice of Banking(1856)がもっとも有名であるが、ほかにも『経済学原理』Elements of Political Economy(1858)や『経済学史』The History of Economics(1896)など、その数は多い。

[原 司郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マクラウド」の意味・わかりやすい解説

マクラウド
Macleod, John James Rickard

[生]1876.9.6. スコットランド,ダンケルド近郊
[没]1935.3.16. アバディーン
イギリスの生理学者。アバディーン,ライプチヒ,ケンブリッジ各大学に学び,1903年アメリカに渡り,ウェスタンリザーブ大学生理学教授。 18年カナダのトロント大学生理学教授,ここで F.バンティングと協力してインスリンの抽出に成功。その功績により 23年,バンティングとともにノーベル生理学・医学賞を受賞。 28年帰国してアバディーン大学生理学教授。糖尿病と炭水化物代謝の研究で名高いが,筋肉のリン含有量,呼吸の生理学,航空病,電気ショックなど,幅広い領域の仕事を残している。

マクラウド
Macleod, Henry Dunning

[生]1821.3.31. エディンバラ
[没]1902.7.14. ロンドン
イギリスの経済学者。ケンブリッジのトリニティ・カレッジ卒業。法律家,銀行家の経歴をもち,割引政策の役割を明らかにするとともに,銀行は貨幣の貸借をする店舗ではなく信用の製造所であるとして信用創造の理論を初めて体系的に展開した。主著『銀行業務の理論と実際』 The Theory and Practice of Banking (2巻,1855~56) ,"The Theory of Credit" (2巻,89~91) 。

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