カナダの生理学者。インスリン発見者の一人。スコットランドに生まれる。1898年にアバディーン大学を卒業して医師となり、生理学を専攻した。1903年、アメリカ、オハイオ州のクリーブランドのウェスター・リザーブ大学教授として招かれ、1918年にカナダのトロント大学生理学教授に任ぜられた。彼がF・G・バンティングとC・H・ベストの「糖尿病と膵臓(すいぞう)の内分泌」のむずかしい実験、研究を指導したのは45歳のころで、もっとも脂の乗ったときであった。1923年に、マクラウドとバンティングはインスリンの発見でノーベル医学生理学賞を受けた。のちマクラウドは王立協会会員、ロンドン王立医学校、エジンバラ王立学士院の特別会員に選ばれ、内外の多くの大学から名誉博士号を受け、多くの医学会の名誉会員に推された。1928年、母校のアバディーン大学の生理学欽定(きんてい)講座担当教授となり、同地で59年の生涯を閉じた。
[古川 明]
イギリスの経済学者。エジンバラに生まれる。1843年ケンブリッジのトリニティ・カレッジを卒業し、しばらくは法律家として身をたてたが、のち経済学の研究に専念した。マクラウドの業績はとくに金融論の分野で高く評価されているが、そのなかでもっとも著名なのは本格的信用創造理論を展開したことである。すなわち、銀行を単に預金を受け入れて貸出を行う機関だとする定義に反対し、信用創造機関として位置づけた。マクラウドの信用創造理論はその後多くの経済学者によって発展されて今日に至っている。マクラウドの著作としては『銀行業の理論と実際』The Theory and Practice of Banking(1856)がもっとも有名であるが、ほかにも『経済学原理』Elements of Political Economy(1858)や『経済学史』The History of Economics(1896)など、その数は多い。
[原 司郎]
イギリスの生理学者.アバディーン大学で医学を学び,1898年卒業.ライプチヒ大学に留学して生化学を学んだのち,1900年ロンドン病院医学校助手,翌年講師.1903年アメリカ,クリーブランドのウェスタンリザーブ大学生理学教授となり,1918年カナダのトロント大学に移った.1928年母校アバディーン大学へ戻り,医学欽(きん)定講座教授となった.呼吸や炭水化物の代謝に関して広く研究した.トロント大学において,かれが提供した実験室でF.G. Banting(バンティング)らがインスリン(この命名はMacleod)を抽出した.その後,Macleodはその大量抽出を助け臨床試験を推進した.1923年Bantingとともにノーベル生理学医学賞を受賞.かれの功績を認めないBantingの批判を受けて,大量抽出・精製に功績のあったJ.B. Collipと賞金を分けあった.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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