トリニティカレッジ(英語表記)Trinity College, Dublin

改訂新版 世界大百科事典 「トリニティカレッジ」の意味・わかりやすい解説

トリニティ・カレッジ
Trinity College, Dublin

アイルランドダブリンにある大学ケンブリッジオックスフォード両大学の同名カレッジと区別して〈トリニティ・カレッジ・ダブリン〉と呼ばれる。略称TCD。1592年創立。当初,ケンブリッジ,オックスフォードにならって複数のカレッジをもつダブリン大学University of Dublinとして構想されたが,トリニティだけが実現した。長い間,アイルランドにおける英国国教会の子弟の教育の中心であったが,1873年からは宗教上の制約なしに入学が許可されるようになった。1801年以降,グレート・ブリテンおよびアイルランドで出版される書物がすべて寄贈されることになり,この特権は現在も続いている。卒業生には文学者J.スウィフト,哲学者G.バークリーをはじめ指導的人士が多い。校門両脇には思想家E.バークと作家O.ゴールドスミスの像が立ち,図書館にはアイルランド民族運動の指導者T.W.トーンらの胸像が飾られている。L.ハーン小泉八雲)の父もここの出身である。図書館には《ケルズの書》をはじめ数多くの古文献が収められている。人文,文学,工,自然医学経済社会の6学部構成で,学生数約1万1000(1996),教員数約500。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

大学事典 「トリニティカレッジ」の解説

トリニティ・カレッジ[アイルランド]

アイルランド共和国の首都ダブリンにあるアイルランド最古の大学。宗教改革の余波が続く1592年,エリザベス1世の勅許状により,入植者・官吏・国教会の子弟の高等教育の場として設立された。オックスフォードとケンブリッジ両大学をモデルに,植民地におけるプロテスタントの橋頭堡であるとともに,アイルランドの学術・高等教育の拠点となるようにとの期待を担ってのことであった。18世紀を通じて宗派主義への批判が高まり,アイルランドにおけるカトリック教徒の差別撤廃が進むとともに,門戸をカトリック教徒や非国教徒の子弟にも開放した(1793年)。ただし,教授職,フェローシップスカラーシップ(エリート研究生)などの保有は1873年までプロテスタント信奉者のみに制限された。女性の入学が認められたのは1904年である。

 歴代の卒業生の中にはジョナサン・スウィフト,エドマンド・バーク,オリヴァー・ゴールドスミス,オスカー・ワイルド,サミュエル・ベケットなどがいる。基礎学術から伝統的な法学,医学,神学(宗教学),さらには最新の生命諸科学まで主要な学問分野を網羅して,1万数千人の学生(うち大学院生約5000人)を収容し,オックスブリッジに比肩する水準の大学との定評を得ている。当大学図書館蔵の『ケルズの書』(聖書の手稿写本)は世界で最も美しい本と言われている。
著者: 安原義仁

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android