マクラレン(英語表記)Norman McLaren

改訂新版 世界大百科事典 「マクラレン」の意味・わかりやすい解説

マクラレン
Norman McLaren
生没年:1914-87

カナダのアニメーション作家。スコットランド生れ。実験的なアニメーション映画第一人者で,脱色フィルムに直接彩色した色のパターン変化のアニメ,感光ずみのフィルムの黒い膜面に針で描いたアニメ,サウンド・トラックに針や絵筆で加工した人工音などによるカメラを使わないアニメの開発で有名である。そのような創造のきっかけは,抽象的アニメの先駆者オスカー・フィッシンガーやレン・ライの作品に強く影響されたものの,カメラが買えなかったためだといわれる。1939年に設立されたカナダ国立映画局に招かれて,これらの技術を生かした作品を次々に製作した。このほか,チョークやパステルで絵を描くプロセスを微速度撮影して,まるで息づきながら絵が完成するかのような生々しい効果を得る方法や,前進移動していく絵を無数に描いてズーム・アップで連続撮影し,無数の奥行きを生み出す方法,人間の1コマ撮りによる新しい動きの創造や一定の動作のネガをずらして何回も同一画面に焼きつけて同じ人物の追っかけ反復を作り出す試みなどマクラレンの新技法は数多い。カナダ国立映画局動画部の責任者となったマクラレンは,その自由な作風でカナダのみならず世界のアニメーション映画の代表となりつつ,また多くの優秀な若手作家を世界から集めて実験と発表の場を与えた。代表作《線と色の即興詩》(1954)ほか数々の作品がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マクラレン」の意味・わかりやすい解説

マクラレン
まくられん
Norman McLaren
(1914―1987)

カナダのアニメーション映画作家。イギリスのスコットランドに生まれる。グラスゴーの美術学校在学中に、抽象アニメーション映画の先駆者オスカー・フィッシンガーやレン・ライらの作品に強い影響を受けたが、撮影機が買えなかったため、感光済みの屑(くず)フィルムに直接描いたのが処女作となった。イギリス郵政省の映画部門を経て、1939年に設立されたカナダ国立映画局に招かれ、アニメーション部門の主任となった。フィルムに直接描くシネ・カリグラフをはじめ、何百枚もの原画ズーミングオーバーラップでつないだ無限の空間移動を感じさせる画面、人間のこま撮りや光学処理による特殊効果など、これらの技法によって『線と色の即興詩』(1955)など美しく楽しい抽象短編映画を70本余り制作した。

[森 卓也]

資料 監督作品一覧

ラブ・オン・ザ・ウィング Love on the Wing(1938)
ばかばかしい! Fiddle-de-dee(1947)
線と色の即興詩 Blinkity Blank(1955)
つぐみ 小鳥のファンタジー Le merle(1958)
カノン Canon(1964)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マクラレン」の意味・わかりやすい解説

マクラレン
McLaren, Norman

[生]1914.4.11. スターリング
[没]1987.1.26. モントリオール
カナダのアニメーション作家。 1937年イギリス郵政局の映画部,39年ロンドン映画センターを経て,41年カナダ国立映画局に入る。以後,同局アニメーション部門の中心人物として活動し,その独創的な手法と抽象的な傾向の作風で注目を浴びた。おもな作品は『これが櫂だ』C'est l'aviron (1945) ,『灰色のめんどり』 La Poulette Grise (47) ,『過去のつまらぬ気がかり』 Begone Dull Care (49) ,『隣人』 Neighbours (52) ,『線と色の即興詩』 Blinkity Blank (54) 。

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世界大百科事典(旧版)内のマクラレンの言及

【アニメーション映画】より


[脱ディズニーとイギリスのアニメ]
 50年代には,ディズニー・スタイルから脱却しようとする動きが世界各国のアニメーション映画を活性化した。とくにイギリスでは,ドキュメンタリー映画の大家J.グリアソンが主宰する郵政局(GPO)映画班でその傾向の作品が積極的に試みられ,そこから,カメラを使わずにフィルムにじかにかくことによって映像を作った最初の抽象映画作家レン・ライの《カラー・ボックス》(1935)や,ライの影響を受けたN.マクラレンの短編《恋は翼に乗って》(1938)が生まれた(マクラレンは,この後カナダに渡って実験アニメの巨匠となった)。また,〈何も固有のスタイルにとらわれることはない。…

【カナダ】より

…39年国立映画局(NFB)は,イギリスの記録映画の創始者として知られるジョン・グリアソンを所長として招き,グリアソンの指揮の下に活発な製作活動を開始,第2次大戦中に《カナダは負けず》《戦う世界》のスチュアート・レッグ(1910‐ )をはじめ数々の記録映画作家が輩出して,世界の記録映画の中心的存在になった。と同時に,グリアソンの下で,ノーマン・マクラレン,ジョージ・ダニングといった実験アニメーション映画の鬼才を生み,45年にグリアソンが去ったあとも,国立映画局はドキュメンタリーとアニメーションの創作活動の中心になった。長編劇映画の方は,1913年から39年までに製作された本数が70本足らず,60年にはわずか3本,60年代後半からやっと年間12本程度に上がってきたという貧弱さだが,これはカナダが地理的にアメリカに隣接した国であり,また英語が母国語の主体であるために,要するにアメリカ映画で〈まにあう〉という条件のためであった。…

※「マクラレン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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