日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
マフムード・ダルウイーシュ
まふむーどだるういーしゅ
Mamūd Darwīsh
(1942― )
パレスチナの詩人。ハイファに面する地中海西方アッカー湾に臨む町アッカーの東、ビルワ村に生まれる。イスラエル建国の年(1948)、郷里の村は武装軍団に襲われ、一家はレバノンに逃げ、難民となる。その後、彼の一家はイスラエル側からみれば非合法な形で占領下パレスチナに戻り、彼はそこで中学校の教育を終える。早くから政治活動に身を投じ、1961、65、67年と繰り返し投獄される。ジャーナリスト志望の夢を抱き、詩作に向かい、処女作『翼のない鳥』(1960)、第二作『オリーブの葉』(1964)、ついで『パレスチナの恋人』(1964)を発表し、被占領下のパレスチナにとどまってイスラエルからの弾圧の下で詩作する抵抗詩人として不動の地位を確立した。彼の詩の主題はいうまでもなくパレスチナに収斂(しゅうれん)しており、イスラエル領内に住むパレスチナ人たちはさまざまな抑圧状況にあって、自らのアイデンティティを確認するために、ダルウイーシュの詩を必要とした。それゆえ「占領下パレスチナに踏みとどまる詩人」としての彼の存在の意味は大きく、彼個人の存在の域を超えたものとなり、1970年にイスラエル当局による抑圧から離れ自由な地で詩作に向かおうとして、占領下のパレスチナを離れる旨の宣言が記者会見でなされるや、一大反響を引き起こした。1969年ロータス賞を受賞。
その後、1971年レバノンに移住し先鋭的な文芸雑誌『アル・カルマル』を創刊、アラブ世界の文芸思潮に革新的な役割を果たした(1993年廃刊)。パレスチナ人のみならずアラブ人全体に対して、ダルウイーシュの詩のもつ意味の大きさは計り知れないものがあるが、1970年代以降彼は、散文による著作を次々に発表している。占領下の祖国に生きるパレスチナ人の日々の苦悩を綴(つづ)った散文集として『いつもの悲しみの日記』(1973)が、また、1982年のイスラエルによるレバノン侵攻時、封鎖されたレバノンにおける事態を目撃した彼自身の体験に基づいて書かれた『忘却のための思い出』(1987)がある。ダルウイーシュの一連の散文集には、今日に至るまで犠牲を払い続けてきたパレスチナ人が精神的遺産として獲得した蓄積が、人間的な普遍性と深さのうちに綴られている。
[奴田原睦明]
『池田修訳『現代アラブ文学選 パレスチナの恋人』(1974・創樹社)』