スロベニア北東部,ドラバ川河畔の都市。人口9万1191(2005)。ドイツ名マールブルクMarburg。ローマ時代から交通の要衝であったが,7世紀にはスロベニア人が住みついた。1147年の記録に城塞都市として初出する。1140年にオーストリアのシュタイアーマルクに編入され,中世はドイツ名のマールブルクで呼ばれ,スロベニア名のマリボルが現れるのは1836年以降である。1846年に鉄道が開通してから急速に発展し,商工業,教育,文化の一中心地となり,1918年ユーゴスラビアへ復帰した。発電所,機械製作工場,〈タム〉自動車工場などのほか,劇場,博物館,放送局,出版社,大学もあり町は活気にあふれている。マリボルは古くからドイツ化政策への抵抗で知られ,悪名高い監獄があった。第1次大戦中に作家のアンドリッチ,両大戦間期にはチトーも入れられたが,現在は使用されていない。しばしば大火に見舞われ歴史的建造物は市庁舎(1515),大聖堂(12世紀。17世紀に再建),聖母マリア黒死病記念塔(1680)などに限られる。しかし町の中心部はバロック風の落ち着いた雰囲気がただよい,市の北西には国内随一の美しい公園がある。
執筆者:田中 一生
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スロベニア共和国第二の都市。ドイツ語名マールブルクMarburg。北東部シュタエルスカStajerska州の政治、経済、文化の中心地。人口10万8944(2002国勢調査速報値)。ドラバ川河畔に位置する。ローマ時代の居住地に起源を発し、交通の要衝、物産の集散地、外敵に対する砦(とりで)として発展した。中世、オーストリアに編入されマールブルクとよばれるようになった。1846年ウィーンと鉄道で結ばれ急速に発展、第一次世界大戦後スロベニアに帰属した。ワイン、木材を産し、自動車・農業機械・電気器具工場などがある。大学、博物館、放送局、出版社、劇場、美術館が点在し、12世紀の大聖堂(17世紀の再建)、市庁舎(16世紀)、1743年のペスト記念柱、博物館やホールとして利用されている古城(15世紀)、シナゴーグ(ユダヤ教会)など一見に値する。
[田村 律]
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