改訂新版 世界大百科事典 「マレンツィオ」の意味・わかりやすい解説
マレンツィオ
Luca Marenzio
生没年:1553か54-99
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
イタリアの作曲家。ローマで枢機卿(すうききょう)ルイジ・デステらに仕えたほか、フェッラーラ、マントバ、フィレンツェなどの宮廷にも招かれるなど、生涯ほとんどイタリアを出ることはなかった。ジェズアルドやモンテベルディとともに、後期マドリガーレ(多声歌曲)の最大の作曲家の1人であり、その4、5、6声による多数のマドリガーレは、均整のとれたポリフォニー書法を基礎とし、気品あふれた格調高い性格を示している。また三声の世俗声楽曲ビラネッラ(「田舎(いなか)歌」の意)も多数書いたほか、宗教的マドリガーレやモテトゥスの分野でもいくつかの作品を残している。
[今谷和徳]
…イタリア各地の宮廷では,音の粋を尽くしたマドリガーレ(14世紀のものとは性質が異なる)や,軽快なビラネラ,バレットなどが楽しまれた。L.マレンツィオ,C.ジェズアルドやモンテベルディらは,マドリガーレの代表的な作曲家である。
[バロック]
1580年代のフィレンツェで,一群の貴族と文学者と音楽家がカメラータ(同志の意)と自称したアカデミアに結集し,古代ギリシアの音楽のあり方を探りつつ,ギリシア悲劇を復興しようとする運動を起こした。…
…世俗音楽の分野ではフランスでパリを中心にシャンソンが栄え,イタリアではマドリガーレ(マドリガル)が人気の中心になる。16世紀末のL.マレンツィオやC.ジェズアルドのマドリガーレは特に大胆な半音階和声を駆使して強烈な感情表現を行い,世紀末的頽廃の香りさえただよわせ始める。16世紀後半のイタリアではまた,ローマのG.P.パレストリーナが教皇庁礼拝堂を中心に清澄な響きのうちでカトリック教会音楽の理想像を実現する一方,ベネチアのサン・マルコ大聖堂では,アンドレアとジョバンニの両ガブリエリを中心に二重合唱の技法や声と楽器の協奏様式が発達して,来たるべきバロック時代を準備する。…
…イタリアでは16世紀末から合奏の旋律楽器として使われ始める。その最初の例は,L.マレンツィオの〈シンフォニア〉(1589)である。他方クレモナ出身のモンテベルディはオペラ《オルフェオ》(1607)の中でバイオリンを使い,バイオリンがオーケストラの中心的楽器としての地位を確立していく道を開いた。…
※「マレンツィオ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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