改訂新版 世界大百科事典 「マンキーウィッツ」の意味・わかりやすい解説
マンキーウィッツ
Joseph L.Mankiewicz
生没年:1909-93
アメリカの映画監督,製作者,脚本家。ペンシルベニア州ウィルクス・バリの生れ。1928年,《シカゴ・トリビューン》紙のベルリン特派員助手としてドイツに渡り,ウーファ社での英米向け(英米版)映画の字幕翻訳者ともなる。29年に帰国して兄ハーマン・マンキーウィッツHerman Mankiewicz(1897-1953)が脚本部に所属していたパラマウント社に入り,ダイアローグ・ライター(台詞作者)をへてエルンスト・ルビッチ監督らによる〈オムニバス映画〉《百万円貰ったら》(1932),キング・ビダー(ビドア)監督の《麦秋》(1934)などの脚本を書き,さらに36年にはプロデューサーとなって,フリッツ・ラング監督の《激怒》(1936),ジョージ・キューカー監督の《フィラデルフィア物語》(1940),ジョージ・スティーブンズ監督の《女性No.1》(1942),ジョン・M.スタール監督の《王国の鍵》(1945)などを製作した。
病気のルビッチに代り,初めて監督した《呪われた城》(1946),《幽霊と未亡人》(1947)などで,近代的な都会趣味と機知や皮肉の効いたハリウッドの知性派監督として注目され,第6作《三人の妻への手紙》(1949。ジーン・クレーン,カーク・ダグラス主演)とブロードウェーの新進女優の大胆な世渡りを描いた《イヴの総て》(1950。ベティ・デービス,アン・バクスター主演)で,構成の演劇的な緻密(ちみつ)さと優れた台詞で2年連続してアカデミー監督賞と脚本賞を受賞した。ジョージ・マーシャルのあとを継いで〈スクリーン・ディレクターズ・ギルド〉の会長に選ばれたが,ロサンゼルスは〈文化的砂漠〉であるといって51年にニューヨークへ移り住む。《ジュリアス・シーザー》(1953)は,シェークスピアのもっとも成功した映画化と評価され,さらに《裸足の伯爵夫人》(1954),《野郎どもと女たち》(1955),《静かなアメリカ人》(1956),《去年の夏突然に》(1959)など多彩な作品を手がけ,とくに舞台劇の映画化に手腕を発揮した。しかし,ルーベン・マムーリアンのあとを引き継いだエリザベス・テーラー主演の超大作《クレオパトラ》(1963)は,結局,ハリウッドの歴史に残る記録的な失敗に終わり,その後,アカデミー監督賞にノミネートされたローレンス・オリビエ主演の《探偵 スルース》(1972)のほかは注目すべき作品はない。
執筆者:柏倉 昌美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報