ドイツのちにアメリカの映画監督。ベルリン生まれ。ラインハルトのもとで舞台経験を積み、1913年喜劇俳優として映画界に入る。翌年監督となり、『パッション』(1919)などの歴史劇で国外にも名声をはせる。1923年招かれて渡米。ウィーン上流階級男女の浮気な恋やたくらみを描いた『結婚哲学』(1924)でソフィスティケーションを主調とするコメディを展開、ハリウッド喜劇の発展に大きな影響を与えた。トーキーに入っても斬新(ざんしん)な技法で『ラヴ・パレイド』(1929)、『陽気な中尉さん』(1931)などのオペレッタ映画をジャンルとして確立、他の喜劇でも「ルビッチ・タッチ」とよばれる独自の洗練された映像表現で観客を楽しませた。モーリス・シュバリエをはじめ大スターの持ち味を生かすのがうまく、ディートリヒの『天使』(1937)、クーパーとコルベールの『青髯(あおひげ)八人目の妻』(1938)、ガルボの『ニノチカ』(1939)などがある。
[宮本高晴]
出世靴屋 Schuhpalast Pinkus(1916)
カルメン Carmen(1918)
呪の眼 Die Augen der Mumie Ma(1918)
男になったら Ich möchte kein Mann sein(1918)
舞踏の花形 Das Mädel vom Ballet(1918)
牡蠣(かき)の王女(花聟探し) Die Austernprinzessin(1919)
パッション Madame Dubarry(1919)
花嫁人形 Die Puppe(1919)
デセプション Anna Boleyn(1920)
白黒姉妹 Kohlhiesels Töchter(1920)
田舎ロメオとジュリエット Romeo und Julia im Schnee(1920)
寵姫(ちょうき)ズムルン Sumurun(1920)
山猫リュシュカ Die Bergkatze(1921)
ファラオの恋 Das Weib des Pharao(1922)
灼熱(しゃくねつ)の情炎(灼熱の情花) Die Flamme(1922)
ロジタ Rosita(1923)
結婚哲学 The Marriage Circle(1924)
三人の女性 Three Women(1924)
禁断の楽園 Forbidden Paradise(1924)
当世女大学 Kiss Me Again(1925)
ウィンダミア夫人の扇 Lady Windermere's Fan(1925)
陽気な巴里(パリ)っ子 So This Is Paris(1926)
思ひ出 The Student Prince in Old Heidelberg(1927)
山の王者 Eternal Love(1929)
ラヴ・パレイド The Love Parade(1929)
パラマウント・オン・パレイド Paramount on Parade(1930)
モンテ・カルロ Monte Carlo(1930)
陽気な中尉さん The Smiling Lieutenant(1931)
私の殺した男 Broken Lullaby(1932)
君とひととき One Hour with You(1932)
極楽特急 Trouble in Paradise(1932)
百萬圓貰ったら If I Had a Million(1932)
生活の設計 Design for Living(1933)
メリィ・ウィドウ The Merry Widow(1934)
天使 Angel(1937)
青髭八人目の妻 Bluebeard's Eighth Wife(1938)
ニノチカ Ninotchka(1939)
桃色(ピンク)の店 The Shop Around the Corner(1940)
淑女超特急 That Uncertain Feeling(1941)
生きるべきか死ぬべきか To Be or Not to Be(1942)
天国は待ってくれる Heaven Can Wait(1943)
ロイヤル・スキャンダル A Royal Scandal(1945)
小間使 Cluny Brown(1946)
あのアーミン毛皮の貴婦人 That Lady in Ermine(1948)
ドイツおよびアメリカの映画監督。ルビッチュともよばれる。〈ルビッチ・タッチ〉とよばれる独特の洗練されたスタイルで,セックスを笑いでまぶしたハリウッドの〈ソフィスティケーティッド・コメディ〉あるいは〈ロマンチック・コメディ〉(フランス語では〈アメリカ喜劇comédie américaine〉とよばれるジャンル)の原形をつくった。フランク・キャプラ,プレストン・スタージェス,レオ・マッケリーLeo McCarey(1898-1969)とともに〈アメリカ喜劇〉の四大監督とみなされる。
ロシア系ユダヤ人を父にベルリンに生まれ,高校時代から学生演劇に熱中して,16歳のとき中退,昼は呉服商の父の仕事を手伝い,夜はキャバレーやミュージック・ホールに出演する。1911年にマックス・ラインハルトの劇団に加わって俳優修業をつみ,12年には収入を補うためベルリンのビオスコープ撮影所の見習となり,雑用係として働く。13年から短編の喜劇シリーズに出演しはじめ,コメディアンとして成功,やがて出演作品の脚本も書くようになり監督となった。
15年から18年までに12本の短編喜劇をつくり,初めての長編であるポーラ・ネグリPola Negri主演の悲劇《呪の眼》(1918)で認められ,次いでやはりポーラ・ネグリ主演の《カルメン》(1918)が世界的にヒットする。そして《パッション》(1919),《デセプション》(1920),《ファラオの恋》(1922)などの〈史劇大作〉をつくり,第1次世界大戦後の沈滞から脱したドイツ映画界の偶像的な監督となり,世界の映画の巨匠の一人に数えられた。そしてハリウッドに招かれ,23年以後,ドイツ時代よりも長くそこで仕事をつづけ,同世代のドイツの監督,すなわちフリッツ・ラングやF.W.ムルナウとは異なって,ドイツよりはむしろアメリカの映画監督としてあつかわれている。
メリー・ピックフォードに請われて監督したアメリカ映画の第1作《ロジタ》(1923)は凡作に終わったが,つづく《結婚哲学》《禁断の楽園》(ともに1924),《当世女大学》《ウィンダミア夫人の扇》(ともに1925)などで,上流社会の男女の機微をセックスと金銭にたいする皮肉をこめた巧みな場面処理で軽妙洒脱に描いて,独創的な喜劇スタイルをつくりあげ,その洗練された手法は〈ルビッチ・タッチ〉と称され,ハリウッドお得意の〈風俗喜劇〉の流行の先端を切った。さらに,トーキー時代を迎えて《ラヴ・パレイド》(1929),《モンテ・カルロ》(1930),《陽気な中尉さん》(1931)で映像と音楽を巧みに処理して〈シネ・オペレッタ〉とよばれる新しいジャンルをつくりだし,つづく《私の殺した男》(1932)は〈戦場を描かない反戦映画〉として注目を浴びた。サイレント映画はワーナー・ブラザースで,初期のトーキー映画の多くはパラマウントでつくり,35年からはパラマウントの製作部長も兼任し,37年には〈25年間におよぶ映画への貢献〉にたいしてアカデミー特別賞をあたえられ,また翌38年には,フランスのレジヨン・ドヌール勲章を贈られた。
マルレーネ・ディートリヒ主演の《天使》(1937),ゲーリー・クーパー主演の《青髯八人目の妻》(1938)につづくMGM映画《ニノチカ》(1939)は,〈ガルボが笑う〉と宣伝されたグレタ・ガルボ最初の喜劇でもあるが,政治とセックスをからませて共産主義国家ソビエトを痛烈に皮肉った才気あふれる作品である。また,《生きるべきか,死ぬべきかTo Be or Not to Be》(1942)は,反ナチ喜劇の傑作とされる。43年,20世紀フォックスとプロデューサー兼監督の契約を結んだが,健康がすぐれず,最後の作品《白てんの毛皮を着た婦人That Lady in Ermine》(1948)はオットー・プレミンジャー監督の手で完成され,死後に公開されることとなった。
執筆者:柏倉 昌美
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…フランスのルネ・クレールは,スラプスティックの要素を含む現代おとぎ話《ル・ミリオン》(1931),チャップリン的な風刺喜劇《自由を我等に》(1931),人情喜劇《巴里祭》(1932),《最後の億万長者》(1934)などの多彩な喜劇を発表している。サイレント的なパントマイム演技を,意識的に残したクレールに対して,会話劇のおもしろさを発揮したのは,アメリカのフランク・キャプラとエルンスト・ルビッチである。キャプラは,1930年代に脚本家ロバート・リスキンと組んで多くの喜劇を作った。…
…第1次世界大戦後の〈表現主義映画〉,そこから出発して国際的な評価を得たエルンスト・ルビッチ,フリッツ・ラング,F.W.ムルナウ,G.W.パプストといった監督たち,レニ・リーフェンシュタールのオリンピック記録映画によって代表される1930年代のナチス宣伝映画,そして国際的なスターとして知られるウェルナー・クラウス,コンラート・ファイト,マルレーネ・ディートリヒ,アントン・ウォルブルック,クルト・ユルゲンス,ホルスト・ブーフホルツ,ヒルデガルド・クネフ(アメリカではヒルデガード・ネフ),ロミー・シュナイダー,マリア・シェル,マクシミリアン・シェル,ゲルト・フレーベ等々の名が,〈ドイツ映画〉のイメージを形成しているといえよう。以下,第2次大戦後,東西二つのドイツに分割されて政治的対立の下に映画活動も衰退せざるを得なくなるまでの動きを追ってみる。…
※「ルビッチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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