ミニャール

デジタル大辞泉 「ミニャール」の意味・読み・例文・類語

ミニャール(Pierre Mignard)

[1612~1695]フランス画家宮廷首席画家となり、肖像画歴史画宗教画多く残した。

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精選版 日本国語大辞典 「ミニャール」の意味・読み・例文・類語

ミニャール

  1. ( Pierre Mignard ピエール━ ) フランスの画家。多くの肖像画、宗教画、歴史画を描く。ルイ一四世の時代ルブランのあとをうけて、指導的な宮廷画家となる。代表作テティスを装ったド=セニュレ侯爵夫人」。(一六一二‐九五

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百科事典マイペディア 「ミニャール」の意味・わかりやすい解説

ミニャール

フランスの画家。トロア生れ。ブーシェブーエに学んだのちローマカラッチプッサンを研究,1658年にルイ14世の肖像を描いて認められた。腕を競ったル・ブラン死後,宮廷の首席画家,アカデミーの会長等要職を占めた。代表作に《贖罪寓意のある聖家族》(1650年―1655年,ルーアン美術館蔵),パリのバル・ド・グラース修道院の天井画(1663年)などがある。

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改訂新版 世界大百科事典 「ミニャール」の意味・わかりやすい解説

ミニャール
Pierre Mignard
生没年:1612-95

フランスの画家。ル・ブランとともにアカデミーを代表する。トロアの画家一家に生まれ,パリでブーエの工房に通う。1636-57年ローマ滞在。その間プッサン,カラッチ,ドメニキーノなどの作品に学ぶ。ルイ14世の命で帰国し,バル・ド・グラースの天井装飾(1663)。肖像画においては寓意性を入れ(《テティスを装うセヌレ侯爵夫人》1691など),ベネチア派風の宮廷肖像画を確立した。ル・ブランの死後,〈王の首席画家〉となり,アカデミーの要職にもつく。兄および2人の息子も画家。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミニャール」の意味・わかりやすい解説

ミニャール
Mignard, Pierre

[生]1610/1612.11. トロア
[没]1695.5.30. パリ
フランスの画家。 1624年ブルージュの J.ブーシェ,27年パリの S.ブーエに師事。 30年からイタリアに滞在し,57年パリに戻って宮廷の肖像画家として活躍。 63年バル・ド・グラース聖堂の天井画で成功した。神話画や寓意画も描いたが,ロジェ・ド・ピエールたちとともに当時の古典主義者ル・ブランらと対立し,ルーベンス主義の色彩性を支持して 18世紀のロココ美術への道を開いた。 90年のル・ブランの死後,ロイヤル・アカデミー会長および王室付き首席画家となった。代表作『ド・マントノン侯爵の肖像』 (1691,ルーブル美術館) 。

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世界大百科事典(旧版)内のミニャールの言及

【バロック美術】より

…ストア派的英雄を主とするプッサンのテーマは,カトリックの法悦的表現の道具というよりは,王権下の秩序と品位ある市民のモラルとを称揚したもので,その芸術はフランスの国家的気運と合致し,19世紀にいたるまで同国の美術の骨格をなす伝統となった。 フランスの後期バロックは,1690年のル・ブランの死と,それにつづくミニャールのアカデミー院長就任によって区分される。ミニャールはイタリア・バロックの色彩が強く,次の院長A.コアペルはルーベンスとレンブラントの信奉者であった。…

※「ミニャール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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