日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミラノ派」の意味・わかりやすい解説
ミラノ派
みらのは
scuola milanese
北イタリアのミラノを中心に、15世紀の末から16世紀前半にかけておこった画派。初めパドバ派の流れをくんだフォッパVincenzo Foppa(1427/30―1515/16)らが現れ、ロンバルディア地方特有の装飾性を加味した重厚な作風を形成していた。その後、スフォルツァ家が勢力を誇っていたころ、ブラマンテやレオナルド・ダ・ビンチらがこの都市を訪れ、絵画に大きな影響を与えた。ことに、最初の1482年以来の長い移住に続いて1506年から12年まで再度ミラノに滞在したレオナルドの影響は大きく、その明暗法、スフマート技法、構図法などは、ミラノの画風に著しい変革をもたらすとともに、多くの追随者を生んだ。代表的画家に、アンブロジオ・ダ・プレディスAmbrogio da Predis(1450/55―1505)、ソラリオAndrea Solario(1465―1515)、ボルトラッフィオGiovanni Antonio Bortraffio(1466―1516)、チェザーレ・ダ・セストCesare da Sesto(1477―1523)、ベルナルディーノ・ルイーニ、メルチFrancesco Melzi(1493―1570)らがいる。彼らはレオナルドの画風を模倣したとはいえ、師の精神的偉大さを欠いていた。そのなかでルイーニだけがレオナルドの影響から抜け出して、独特の典雅な様式を発展させた。
[上平 貢]