日本大百科全書(ニッポニカ) 「パドバ派」の意味・わかりやすい解説
パドバ派
ぱどばは
scuola padovana
北イタリアの都市パドバを中心に栄えた美術の流派。とくに15世紀中葉から末にかけての絵画をさすことが多い。同地は中世からすでに北イタリアの文化的中心地であり、14世紀初頭にジョットが来訪し、またグァリエントGuariento(生没年不詳)やアルティキエロAltichiero(1330ころ―95ころ)などが活躍していた。15世紀前半にドナテッロやウッチェロなどフィレンツェの美術家の来訪が刺激となって、新しいルネサンス風の様式が形成された。この派の創始者スクァルチオーネFrancesco Squarcione(1397―1468)の工房からは、マンテーニャ、スキアボーネSchiavone、マルコ・ゾッポMarco Zoppo、ニッコロ・ピッツォロNiccolò Pizzolo、ボーノ・ダ・フェッラーラBono da Ferrara、アンスイノ・ダ・フォリAnsuino da Foolíなどが輩出する。
この画派の特色は、鋭い彫刻的な線、古代趣味のモチーフ、短縮法や遠近法の誇張などであり、近隣のベネチア、フェッラーラ、ロンバルディア地方などにも大きな影響を与えたが、16世紀にベネチア派が隆盛するとともに衰退した。
[篠塚二三男]