日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムラド」の意味・わかりやすい解説
ムラド(Nadia Murad Basee Taha)
むらど
Nadia Murad Basee Taha
(1993― )
戦時・紛争地での性暴力撲滅を訴え続けているイラクの女性人権運動家。イスラム過激派の攻撃を受けているクルド民族少数派のヤズディー教徒である。戦争・紛争下で、性暴力が対立勢力の恐怖心をあおる「戦争の武器」と化して横行している実態を広く国際社会に訴え、命の危険を顧みずに正義を追求した功績で2018年のノーベル平和賞を受賞した。
イラク北部のスィンジャール近郊の農村コチョ生まれ。2014年8月、自身の村がイスラミック・ステート(IS、イスラム国)に襲撃され、改宗を拒むと母や兄弟を虐殺された。その後、イラク北部のモスルに拉致(らち)され、IS戦闘員に人身売買され、性奴隷として性暴力や拷問などの仕打ちを3か月間にわたって受けた。2014年11月にモスルを脱出し、その後ドイツに逃れドイツを拠点に、壮絶な体験と卑劣な性暴力の実態を国際社会に告発。人身売買や性暴力を根絶し、同じように苦しむ被害者の尊厳を守り、支援するよう訴える活動を続けている。戦時・紛争地での性暴力は国際人道法で禁じられているが、国連は2018年にアフリカ、中東、アジアの約50の過激派・武装勢力がレイプや性奴隷強要に関与した疑いがあると報告。イラクでは、数千人のヤズディー教徒がISの奴隷になったと推定されている。ムラドは国連本部で「首をはねられ、性奴隷にされ、子供がレイプされても行動しないなら、いつ行動するのですか」と演説し、国際社会に衝撃を与えた。2016年9月には国際連合親善大使についた。2018年ノーベル平和賞の授賞理由は「戦争や紛争で、性的暴力を武器として使うことを終わらせる活動につとめてきた」功績で、性暴力被害者への医療に取り組むコンゴ民主共和国の産婦人科医デニス・ムクウェゲとの共同受賞である。ノーベル賞以外にも、優れた市民行動を称える「バーツラフ・ハベル人権賞」(2016)、優れた人権活動を表彰するヨーロッパ議会の「サハロフ賞」(2016)などを受賞。2016年、米『タイム』誌の「世界で最も影響力のある100人」の一人に選ばれた。自伝的著書に、ISによる虐殺や性暴力の実態を描いた『THE LAST GIRL――イスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語』がある。
[矢野 武 2019年2月18日]
ムラド(Ferid Murad)
むらど
Ferid Murad
(1936―2023)
アメリカの医師、薬理学者。インディアナ州ホワイティング生まれ。1958年デポー大学を卒業。1965年ケース・ウェスタン・リザーブ大学で博士号を取得。1965~1967年マサチューセッツ総合病院で臨床研修。1967年より国立心臓・肺・血液研究所に勤務。1975~1981年バージニア大学教授、1981~1989年スタンフォード大学教授。アボット・ラボラトリー社副社長、分子老人病学株式会社社長を経て、1997年テキサス大学教授となる。
ニトログリセリンによる血管拡張作用のメカニズムを研究。ニトログリセリンの投与でまず一酸化窒素NOの放出がおこり、NOによりサイクリックグアノシン三リン酸(cGMP:cyclic guanosine monophosphate)産生酵素が活性化、cGMP濃度が上昇して血管平滑筋を弛緩させていることを明らかにした。気体であるNOが情報伝達物質として機能していることを発見した功績により、L・イグナロ、R・ファーチゴットとともに1998年のノーベル医学生理学賞を受賞した。
[馬場錬成]