日本大百科全書(ニッポニカ) 「メーリング」の意味・わかりやすい解説
メーリング(Franz Mehring)
めーりんぐ
Franz Mehring
(1846―1919)
ドイツの社会主義者、歴史家、文芸理論家。元将校の収税吏の子としてポンメルンのシュラーベに生まれる。ライプツィヒ、ベルリン両大学で言語学を学び、民主主義的なジャーナリストとして活動したのち、1891年ドイツ社会民主党に入党。党機関誌『ノイエ・ツァイト』(新時代)の執筆者となり、1892年同誌に連載した『レッシング伝説』によって理論家としての地位を確立した。1902~1907年『ライプツィヒ民衆新聞』の編集長として修正主義を激しく攻撃し、第一次世界大戦中もローザ・ルクセンブルクらと協力して反戦運動を継続。『インテルナチオナーレ』誌の発行、スパルタクス団の結成に重要な役割を果たし、大戦後にはドイツ共産党の創立に加わった。しかし1919年1月、病臥(びょうが)中にルクセンブルク、カール・リープクネヒト虐殺の報を受け、その落胆もあって同月28日死去した。『ドイツ社会民主主義史』は代表的著作。
[松 俊夫]
『足利末男他訳『ドイツ社会民主主義史』上下(1968、1969・ミネルヴァ書房)』
メーリング(Walter Mehring)
めーりんぐ
Walter Mehring
(1896―1981)
ドイツの詩人、劇作家。ベルリン生まれ。表現主義から出発し、第一次世界大戦後はベルリン・ダダ運動の闘士として、ラジカルな左翼系の「政治キャバレー」を開く。『異端者の祈祷(きとう)』(1921)、戯曲『ベルリンの商人』(1929)など、風刺的なシャンソンや脚本で、ドイツの右傾化、インフレの世相、市民的モラルを痛罵(つうば)した。ナチスの手を逃れ、フランス、のちアメリカに亡命。戦後はスイスに住みながら、回想録スタイルの文芸論『失われた文庫』(1952)、『呪(のろ)われた絵画』(1958)を著した。
[幅 健志]
『野村太郎訳『呪われた絵画』(1962・美術出版社)』