日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
モダン・ジャズ・カルテット
もだんじゃずかるてっと
Modern Jazz Quartet
ピアニストのジョン・ルイスJohn Lewis(1920―2001)とビブラホーン奏者ミルト・ジャクソンMilt Jackson(1923―99)を主要なメンバーとして、1952年に結成された4人編成のアメリカのジャズ・グループ。略称MJQ。設立当初のメンバーは、ほかにベース奏者のパーシー・ヒースPercy Heath(1923―2005)、ドラム奏者のケニー・クラークKenny Clarke(1914―85)だったが、55年にクラークにかわってコニー・ケイConnie Kay(1927―94)がドラム奏者となって以来、74年から81年の中断期を除き、99年にジャクソンの死によって解散するまで、独自のグループ表現を維持しつづけたジャズ史上最長のレギュラー・コンボ。
このグループが結成された当時、まだジャズ・バンドは臨時編成的な要素が残っており、メンバーの入れかわりも珍しいことではなかった。そうした時代に、後のロック・グループのように、リーダーの個人名でないバンド名称を名のったことの意義は大きい。それは著名なバンド・リーダーの名前で活動するメリットを捨て、グループ自体の独自性を主張するという音楽的発想の転換表明にほかならないからである。1950年代前半はジャズ史において、傑出したリーダーの即興性に大きく依存するジャズの演奏スタイル「ビ・バップ」から、グループ表現にも重点を置いたスタイル「ハード・バップ」への転換期にあたっており、彼らはその音楽思想を固有のバンド名、レギュラー・グループという二つの要素によって的確に表明している。というのも、グループ表現を行うにはメンバー相互の音楽的意思統一が欠かせず、臨時編成バンドでは不可能だからである。
彼らの名前を冠した最初のアルバムは、1951年および52年の録音の『モダン・ジャズ・カルテット』である。これにはルイスとジャクソンが共演しているが、まだグループとしての「モダン・ジャズ・カルテット」は結成されていない時期の演奏と、結成後の演奏が収録されている。両者を聴き比べると、個人技優先の「ビ・バップ」から、よりグループ表現に傾いた「ハード・バップ」への移行過程が明確に聴き取れる。また、ジャズ史的に「ハード・バップ」が確立し、メンバーも完全にレギュラー化された55年のアルバム『コンコルド』では、一分のすきもないグループとしての統一感を実現した演奏を行っている。これらの演奏においては、ヨーロッパ的な音楽教養を身につけたルイスが音楽監督の役割を果たし、彼と、黒人音楽の伝統的感覚を表現しうるジャクソンとの絶妙なコラボレーションが、このグループの特色を生み出している。
1956年にアメリカのジャズ専門誌『メトロノーム』Metronomeの人気投票でコンボ部門の第1位に選ばれる。同年、対位法を採用したバロック音楽的要素と、ジャズの即興性を巧みに融合させた傑作『フォンテッサ』を録音する。58年に初めて渡欧し、ヨーロッパ各地で絶賛を受けた。61年(昭和36)には初の来日を果たし、同年同じく初来日したジャズ・グループ、ジャズ・メッセンジャーズとともに、日本にジャズ・ブームを巻き起こす。「エレクトリック・ジャズ」が盛んになった74年、惜しまれつつ解散する。オーソドックスなジャズが見直されはじめた81年再結成され、ふたたびレコーディング、コンサートに活躍するが、99年ジャクソンの死によって永遠の解散を余儀なくされた。前記以外の代表作に、1960年の『ヨーロピアン・コンサート』がある。
[後藤雅洋]