デジタル大辞泉
「モンゴルフィエ兄弟」の意味・読み・例文・類語
モンゴルフィエ‐きょうだい〔‐キヤウダイ〕【モンゴルフィエ兄弟】
フランスの発明家。ジョセフ=ミシェル=モンゴルフィエ(Joseph‐Michel Montgolfier[1740~1810])とジャック=エティエンヌ=モンゴルフィエ(Jacques‐Étienne Montgolfier[1745~1799])の兄弟。熱気球を研究し、1783年、人類初の空中飛行に成功した。
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モンゴルフィエ兄弟 (モンゴルフィエきょうだい)
兄はジョセフJoseph Michel Montgolfier(1740-1810),弟はジャックJacques Étienne Montgolfier(1745-99)。フランスの気球(熱気球)発明者で,気球による人類初の飛行を成功させた。
フランスのリヨンに近いアノナーで製紙業を営んでいたが,煙が空へ登っていくのを観察して,それを閉じこめた気球の着想を得,多量の煙を発生する湿ったわらなどを燃やして,その煙と熱せられた空気を布で裏打ちした紙製の直径10mの気球につめ,1783年6月5日にアノナーで上昇させた。これが人類初の気球とされている。兄弟はさらに鶏,アヒル,羊をゴンドラに乗せた熱気球を飛ばせて成功し,次いで綱で地面へ結んだ大型の熱気球に人間を乗せて試験したのちに,83年11月21日パリで人類の初飛行に成功した。搭乗者はピラトール・ド・ロジェとダルランド侯爵であった。兄弟とほとんど同時に水素気球が物理学者J.A.C.シャルルによって発明されたが,軽い気体による気球浮揚の原理が,別に物理学者でもなかったモンゴルフィエ兄弟によって樹立されたことは興味深い。まだ空にはいかなる危難が待ちかまえているか不明な時代に,漸進的系統的に研究を進めた点で兄弟の開発方針はきわめて科学的なものであったといえる。ただし熱気球が活躍したのはごく一時期であって,スポーツ用として復活したのは第2次世界大戦後プロパンガスとバーナーによる加熱方式が採用されてからである。
→気球
執筆者:佐貫 亦男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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モンゴルフィエ兄弟
モンゴルフィエきょうだい
Frères Montgolfier
(兄) ジョセフ Joseph-Michael 1740.8.26. アノネ~1810.6.26. バラリュクレバン
(弟) ジャック Jacques-Étienne 1745.1.6. アノネ~1799.8.2. セリエール
フランスの気球発明者。富裕な製紙業者を父にもつ。ジャックはパリで自然科学と建築学の教育を受け,しばらくは教会の設計などを行なっていたが,やがて兄弟そろって父の跡を継ぎ,アノネで製紙工場を経営。科学実験に深い関心をもち,1782年わらを焼いて熱した空気を大きな紙袋に詰めると空に浮くことを発見。翌 1783年6月4日アノネの広場で絹製の熱気球浮揚の公開実験を行ない,高度 1000m,距離 2kmあまりの飛行に成功。次いで9月 19日ベルサイユで,気球をそれまでのものより大きくしてヒツジやアヒルを乗せ,国王ルイ 16世の前で飛ばして成功した。さらに 11月 21日には2人乗りの気球を飛ばし,パリ上空を 25分間,9km飛行し,世界初の有人気球飛行に成功した。兄弟の気球は学界でも関心を呼び,1783年,ジョセフは科学アカデミーの会員,ジャックは国立研究所通信会員にそれぞれ選ばれた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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「モンゴルフィエ兄弟」の意味・わかりやすい解説
モンゴルフィエ兄弟【モンゴルフィエきょうだい】
フランスの気球発明者。兄はジョゼフ・ミシェル〔1740-1810〕,弟はジャック・エティエンヌ〔1745-1799〕。紙製造業者であったが,協力して気球を研究,1783年熱空気を満たした気球の公開飛昇に成功。同年10月21日兄弟の作った大型熱気球にP.ロジエが乗って人類最初の空中飛行に成功した。
→関連項目航空
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