ヤウレンスキー
やうれんすきー
Алексей Георгиевич Явленский/Aleksey Georgievich Yavlenskiy
(1864―1941)
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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ヤウレンスキー
Alexei von Jawlensky
生没年:1864-1941
ドイツで活躍したロシア出身の画家。1889年よりペテルブルグの美術アカデミーでレーピンに師事するが,アカデミックな教育にあきたらず,96年ミュンヘンに移住。1905年と08年にフランスを旅行し,ナビ派やマティスの作品に触発されて,フォルムの単純化と鮮明な色彩表現に向かう。ゼツェッシオン(分離派)の作家たちと親交を持ち,カンディンスキーらと09年〈ミュンヘン新芸術家協会〉,24年〈青の四人〉を結成。晩年の作品はいっそう抽象化がすすんだ。ナチ政権下では頽廃芸術の烙印を押される。
執筆者:濱田 靖子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ヤウレンスキー
Jawlensky, Alexei von
[生]1864.3.13. トベライ近郊トルツーク
[没]1941.3.15. ウィースバーデン
ドイツで活躍したロシア生れの画家。 1888年ロシア帝室近衛兵の地位を捨てて I.レーピンに学ぶ。 96年ミュンヘンに移り,表現主義の画家カンディンスキーに出会って終生その影響を受ける。 1905年フランスに行き,マチスらと共同制作を行う。ミュンヘンに帰って新芸術家同盟に所属,脱退してのち「青騎士」に属する。 17年には神秘主義の傾向を示す。 24年「青の4人」のグループに加わる。主要作品『ランプのある静かな生活』 (1908) ,『夜の表情』 (23) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のヤウレンスキーの言及
【ブラウエ・ライター】より
…翌年の第2回展には,ピカソ,ブラック,ドラン,マレービチ,ラリオーノフらをも招待した。しかし普通ブラウエ・ライターと呼ばれているのは,ベルリンの〈嵐(デア・シュトゥルムDer Sturm)〉画廊展など,その後のブラウエ・ライター展参加者をも併せ考え,カンディンスキーを中心にしたマルク,マッケAugust Macke(1887‐1914),クレーの4人,およびヤウレンスキーらをいう。彼らはそれぞれロシア正教の神秘主義,ドイツ・ロマン主義,ドローネーのオルフィスムOrphismeなどにつながりながら,造形の根源を追求し,目に見えぬ世界の視覚化を志した。…
※「ヤウレンスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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