デジタル大辞泉
「やなせたかし」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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「やなせたかし」の意味・わかりやすい解説
やなせたかし
漫画家,絵本作家。東京府北路志摩郡滝野川町(現東京都北区滝野川)出身。5歳の時に父親を亡くし,父親の縁故を頼り高知市に移る。母親の再婚で伯父に引き取られ育てられる。旧制東京高等工芸学校(現千葉大工学部デザイン学科)卒業後田辺製薬宣伝部に勤めるが1941年徴兵,中国戦線に従軍する。戦後1946年高知新聞に入社。1947年上京し三越宣伝部でグラフィックデザイナーとして働く。1953年漫画家として独立。しかしめざした大人のナンセンス漫画はまったく売れず,苦しい時期が続いた。1973年サンリオで雑誌《詩とメルヘン》を編集長として刊行,絵本作家としての活動に本格的に取り組む。1969年に発表していた《アンパンマン》を子供向けに改作し,月刊絵本《キンダーおはなし絵本》シリーズ(フレーベル館)の1冊として刊行,幼児層の人気作家となったが,大ブレークしたのは1988年の日本テレビ,テレビアニメ《それいけ!アンパンマン》の放映開始である。アニメのみならずアンパンマンのさまざまなキャラクターグッズは爆発的なヒットとなった。その後,食品など全国各地の様々なキャラクターデザインを手がけるかたわら,自作のミュージカルを上演するなど,最晩年まで現役として活躍した。作詞家としても多くの作品を残している。
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やなせたかし
[生]1919.2.6. 東京
[没]2013.10.13. 東京
まんが家,絵本作家。本名柳瀬嵩。1937年東京高等工芸学校(千葉大学工学部の前身)図案科卒業。第2次世界大戦中の 1940年に召集され中国で終戦を迎える。戦後は高知新聞を経て,1948年三越宣伝部に入社。グラフィック・デザイナーとして活躍するかたわらまんがを描き始め,1953年まんが家として独立。1967年『ボオ氏』で週刊朝日漫画賞を受賞。以後,童画,絵本,作詞などにも取り組み,作詞した『手のひらを太陽に』は小学校の音楽教科書に掲載された。1988年,絵本「アンパンマン」シリーズがテレビアニメーション『それいけ!アンパンマン』として放映され大ヒット,海外でも人気を博した。1996年少年時代を過ごした高知県香美市にやなせたかし記念館アンパンマンミュージアムを開設した。2000年日本漫画家協会理事長に就任,2012年から同会長を務めた。1990年日本漫画協会大賞,1991年勲四等瑞宝章を授与された。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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やなせ-たかし
1919-2013 昭和後期-平成時代の漫画家,作詞家。
大正8年2月6日生まれ。高知新聞記者,三越宣伝部員をへて昭和28年フリー。42年「ボオ氏」で週刊朝日漫画賞。童画,絵本,アニメーション,詩と多方面に活躍する。48年雑誌「詩とメルヘン」責任編集者。絵本は「アンパンマン」シリーズが代表作。作詞に「手のひらを太陽に」など。平成2年「それいけ! アンパンマン」で日本漫画家協会賞大賞。平成25年10月13日死去。94歳。高知県出身。東京高等工芸(現・千葉大)卒。本名は柳瀬嵩(たかし)。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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やなせ たかし
生年月日:1919年2月6日
昭和時代;平成時代の漫画家;イラストレーター;作詞家
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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