やなせたかし(読み)ヤナセタカシ

デジタル大辞泉 「やなせたかし」の意味・読み・例文・類語

やなせ‐たかし

[1919~2013]漫画家絵本作家。東京の生まれ。本名、柳瀬たかし。漫画や子供向けの挿絵・絵本などで着実な評価を得る。のち、「アンパンマン」シリーズが人気を集め、テレビアニメ化・映画化される。キャラクターデザインや「手のひらを太陽に」の作詞でも知られる。

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知恵蔵 「やなせたかし」の解説

やなせたかし

マンガ家、絵本作家。本名は柳瀬嵩。1919年2月6日、東京生まれ。高知県香美郡在所村(現香美市)で幼少時代を過ごす。
東京高等工芸学校(現・千葉大工学部)図案科卒業、39年に製薬会社の宣伝部に勤務。41年戦争で召集されて中国へ行き、そこで終戦をむかえる。終戦後高知新聞社に就職、次に漫画家を目指して上京し三越百貨店宣伝部に就職し、仕事を終えた空き時間でマンガを描いて投稿を続ける。53年にマンガ家として独立したが、しばらくはテレビやラジオ、舞台などマンガ以外の仕事を依頼されることが多かった。
60年、永六輔作・演出のミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の美術を手がける。そこで知り合ったいずみたくと組んで、61年に、現在も全国的に親しまれている曲「手のひらを太陽に」の作詞をする。
67年にラジオドラマの脚本として書き、69年に刊行した『やさしいライオン』が初めての絵本。ラジオや絵本、アニメ、レコードなど様々な分野でこのキャラクターが活躍した。
69年、雑誌「PHP」10月号で代表作ともいえる「アンパンマン」が誕生。しかし、この頃のアンパンマンは大人向けで、顔もパンではなく普通の人間の顔だった。空腹の人にパンを届ける、という基本的な設定は現在の「アンパンマン」に通じるものだった。
73年、「キンダーおはなしえほん」(フレーベル館)の1冊として、最初の作品をより子ども向けにした絵本『あんぱんまん』を出版。当初は、子ども向けにしては内容が難解ではないかと、批評家や幼稚園教諭などからの批判もあったが、予想に反して子どもの心をつかみ、人気作品となる。88年には日本テレビ放送網で「それいけ!アンパンマン」としてテレビアニメ化。25年続く人気番組となる。番組ではテーマソングの「アンパンマンのマーチ」など、音楽の多くをやなせ氏が作詞した。
「アンパンマン」はやなせ氏が戦争中最もつらかった「飢え」の体験をもとに生まれた作品で、正義は立場や状況で変わってしまうが、どんな状況でも飢えた人に食べ物を与えることは絶対の正義である、というやなせ氏の哲学がこめられている。シリーズ関連タイトル累計350タイトル、シリーズ累計の発行部数は約6800万部に及ぶ。96年には高知県香美市に「アンパンマンミュージアム」が開館した。
雑誌編集長としても活躍し、73年に雑誌「詩とメルヘン」を立ち上げ、2003年に休刊するまで、通算385号を出版した。全国の自治体などのキャラクターも手がけ、その数は200以上といわれており、ほぼ全てを無償で提供した。
受賞歴も多数。1967年に4コママンガ「ポオ氏」で週刊朝日漫画賞を受賞。89年日本童謡協会特別賞受賞。90年『アンパンマン』で日本漫画家協会大賞、91年に勲四等瑞宝章受章。2000年日本童謡協会功労賞、日本児童文芸家協会児童文化功労賞受賞。01年「希望の歌」で第31回日本童謡賞受賞など。また、手塚プロダクションがアニメ『やさしいライオン』で69年大藤信郎賞受賞。
13年10月13日、心不全のため94歳で死去。アンパンマンシリーズの最新作絵本『アンパンマンとリンゴぼうや』が13年11月に出版。また、作家活動60年を記念する『やなせたかし大全』も12月に出版された。

(富岡亜紀子  ライター / 2013年)

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百科事典マイペディア 「やなせたかし」の意味・わかりやすい解説

やなせたかし

漫画家,絵本作家。東京府北路志摩郡滝野川町(現東京都北区滝野川)出身。5歳の時に父親を亡くし,父親の縁故を頼り高知市に移る。母親の再婚で伯父に引き取られ育てられる。旧制東京高等工芸学校(現千葉大工学部デザイン学科)卒業後田辺製薬宣伝部に勤めるが1941年徴兵,中国戦線に従軍する。戦後1946年高知新聞に入社。1947年上京し三越宣伝部でグラフィックデザイナーとして働く。1953年漫画家として独立。しかしめざした大人のナンセンス漫画はまったく売れず,苦しい時期が続いた。1973年サンリオで雑誌《詩とメルヘン》を編集長として刊行,絵本作家としての活動に本格的に取り組む。1969年に発表していた《アンパンマン》を子供向けに改作し,月刊絵本《キンダーおはなし絵本》シリーズ(フレーベル館)の1冊として刊行,幼児層の人気作家となったが,大ブレークしたのは1988年の日本テレビ,テレビアニメ《それいけ!アンパンマン》の放映開始である。アニメのみならずアンパンマンのさまざまなキャラクターグッズは爆発的なヒットとなった。その後,食品など全国各地の様々なキャラクターデザインを手がけるかたわら,自作のミュージカルを上演するなど,最晩年まで現役として活躍した。作詞家としても多くの作品を残している。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「やなせたかし」の意味・わかりやすい解説

やなせたかし

[生]1919.2.6. 東京
[没]2013.10.13. 東京
まんが家,絵本作家。本名柳瀬嵩。1937年東京高等工芸学校(千葉大学工学部の前身)図案科卒業。第2次世界大戦中の 1940年に召集され中国で終戦を迎える。戦後は高知新聞を経て,1948年三越宣伝部に入社。グラフィック・デザイナーとして活躍するかたわらまんがを描き始め,1953年まんが家として独立。1967年『ボオ氏』で週刊朝日漫画賞を受賞。以後,童画,絵本,作詞などにも取り組み,作詞した『手のひらを太陽に』は小学校の音楽教科書に掲載された。1988年,絵本「アンパンマン」シリーズがテレビアニメーション『それいけ!アンパンマン』として放映され大ヒット,海外でも人気を博した。1996年少年時代を過ごした高知県香美市にやなせたかし記念館アンパンマンミュージアムを開設した。2000年日本漫画家協会理事長に就任,2012年から同会長を務めた。1990年日本漫画協会大賞,1991年勲四等瑞宝章を授与された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「やなせたかし」の解説

やなせ-たかし

1919-2013 昭和後期-平成時代の漫画家,作詞家。
大正8年2月6日生まれ。高知新聞記者,三越宣伝部員をへて昭和28年フリー。42年「ボオ氏」で週刊朝日漫画賞。童画,絵本,アニメーション,詩と多方面に活躍する。48年雑誌「詩とメルヘン」責任編集者。絵本は「アンパンマン」シリーズが代表作。作詞に「手のひらを太陽に」など。平成2年「それいけ! アンパンマン」で日本漫画家協会賞大賞。平成25年10月13日死去。94歳。高知県出身。東京高等工芸(現・千葉大)卒。本名は柳瀬嵩(たかし)。

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367日誕生日大事典 「やなせたかし」の解説

やなせ たかし

生年月日:1919年2月6日
昭和時代;平成時代の漫画家;イラストレーター;作詞家

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