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浜田弥兵衛 はまだやひょうえ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

浜田弥兵衛
はまだやひょうえ

江戸時代初期の貿易家。長崎代官末次平蔵のもとで朱印船の船長をつとめた。当時台湾はオランダの支配下にあり,輸出入品に関税をかけ朱印船貿易を妨害する政策をとっていた。寛永2 (1625) 年生糸貿易のため台湾に渡った浜田弥兵衛も,オランダの妨害にあい帰国せざるをえなかった。

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デジタル大辞泉の解説

はまだ‐やひょうえ〔‐やヒヤウヱ〕【浜田弥兵衛】

江戸初期の貿易商。長崎の人。末次平蔵朱印船の船長。貿易上の争いから、武装日本人多数を伴って台湾のオランダ人根拠地に渡り、このため日蘭貿易は数年間中断した。生没年未詳。

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百科事典マイペディアの解説

浜田弥兵衛【はまだやひょうえ】

江戸前期の船頭。末次平蔵の朱印船の船長。生没年不詳。1624年台湾を占拠したオランダ人は朱印船貿易の抑圧を図り,1628年台湾ゼーランジア(安平(アンピン))で末次船2隻の出港を差し止めた。

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朝日日本歴史人物事典の解説

浜田弥兵衛

生年:生没年不詳
江戸前期の長崎代官末次平蔵の朱印船船長。寛永2(1625)年,末次船船長として台湾のタイオワン(台南)に渡航した際,貿易の関税をめぐりオランダ長官デ・ウィットに妨害され,越冬する。幕府への弁明のために住民を伴い帰国した。同5年,再び台湾に渡航,前年の日本遣使の台湾長官P.ヌイツゼーランディア城に拘禁されたが,すきをみてヌイツを捕らえ,双方から5人ずつの人質を交換した。弥兵衛は人質を連れて帰国。オランダ人は平蔵の命で長崎に監禁され,また平戸オランダ商館も閉鎖されてオランダとの貿易は同13年まで中断することとなった。「台湾事件」(浜田弥兵衛事件)といわれる。

(小山幸伸)

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世界大百科事典 第2版の解説

はまだやひょうえ【浜田弥兵衛】

江戸前期の長崎代官末次平蔵の朱印船船長。生没年不詳。1625年(寛永2)台湾に渡航した際,同地のオランダ長官デ・ウィットに妨害され,取引が進まず,越年した。28年に渡航したとき,長官P.ヌイツを縛って脅し,紛争和解のための契約書に署名させた。双方から5人ずつ人質が交換され,弥兵衛船はオランダ人人質を乗せて長崎に帰った。この事件のためオランダ貿易は1633年まで中断し,その後の日蘭関係に多くの影響を及ぼした。

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大辞林 第三版の解説

はまだやひょうえ【浜田弥兵衛】

江戸初期の朱印船貿易商。末次船の船長。1628年、台湾での日本人の貿易を抑圧しようとしたオランダの総督に対して、武装した日本人四七〇人を率いて台湾に渡り、謝罪させ、貿易再開に成功した。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

浜田弥兵衛
はまだやひょうえ

生没年不詳。江戸初期の朱印船貿易船船長。江戸初期、日本の輸入品中最大の中国産生糸は、おもに中国商人との台湾での出会(であい)貿易によりもたらされていた。しかし1624年(寛永1)オランダは台湾にゼーランディア城を築いて根拠地として以来、日本の貿易船に対し新たな課税を行うなど、圧迫干渉を加えるようになった。25年長崎代官末次平蔵(すえつぐへいぞう)の朱印船船長として弥兵衛が台湾に渡航した際、長官マルティヌス・ソンクはその貿易を妨害したので、彼は同地の住民を連れて帰り幕府に訴えた。その後オランダ側の事情説明のため新長官ヌイツが大使として来日したが、目的を果たせず帰った。28年、弥兵衛は、平蔵の持船二隻に貿易資金のほか多くの武器・火薬を積み、470人の乗組員を率いて、武力に訴えても貿易を強行する意志で台湾に渡った。ヌイツは弥兵衛を城内に抑留し、貿易も差し止められた。しかし弥兵衛らは機をうかがい、逆にヌイツを捕らえ人質としたので、オランダ側と和議が成立し、同年7月長崎に戻った。幕府もオランダの態度に不満をもち、来日オランダ船の抑留、蘭(らん)館の封鎖、貿易禁止などを行い緊張したが、オランダ側が32年責任者ヌイツを幕府に引き渡すなどして事態は好転し、貿易も再開された。弥兵衛とその子新蔵は、その後島原の乱に際して功をたて、のち新蔵は細川家に仕官した。[沼田 哲]
『川島元次郎著『朱印船貿易史』(1921・巧人社) ▽永積洋子著『平戸オランダ商館日記』(『日記記録による日本歴史叢書7』所収・1981・そしえて)』

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