ユスチニアヌス朝(読み)ユスチニアヌスちょう(その他表記)Justinianian Dynasty

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ユスチニアヌス朝」の意味・わかりやすい解説

ユスチニアヌス朝
ユスチニアヌスちょう
Justinianian Dynasty

ビザンチン帝国初期の王朝 (518~602) 。マケドニア出身のユスチヌス1世に始り,ユスチニアヌス1世ユスチヌス2世,チベリウス2世,マウリキウスの諸皇帝を輩出。宗教的には「アカキウスの分裂」に終りを告げ (519) ,アテネの哲学院を閉鎖 (529) ,首都コンスタンチノープルで第5回公会議を開催 (553) するなど正統派信仰の確立に努力した。対外的にはササン朝ペルシアとの戦役は一進一退を続け,永遠の和平条約 (532) ,50年和平条約 (561) などを締結するが,決定的和平は実現しなかった。「ローマ帝国復興」のスローガンのもとに旧ローマ帝国西方領の回復が試みられ,北アフリカ (534) ,イタリア (552) ,スペイン南部 (554) を帝国領とした。『ユスチニアヌス法典』の編纂,首都の建築事業などとともにユスチニアヌス1世の治世中帝国は繁栄した。しかし没後スラブ族,アバール人によりドナウ戦線は破られ (581) ,バルカン半島のスラブ化が本格的に始った。イタリアではランゴバルド族,アフリカではベルベル人侵攻が激しく,またスペインの帝国領も漸次西ゴートの手に落ちていった。これに対抗するためラベンナカルタゴ総督制度がしかれた。皇帝マウリキウスはドナウ戦線の回復のため遠征軍を派遣するが,軍の反乱により反対皇帝に擁立された百人隊長フォーカスにその地位を追われ,ユスチニアヌス朝は終りを告げた。

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