古代ギリシア最大の合唱隊歌詩人。テーバイの近郊キュノスケファライに生まれた。残された作品のうち最も古いものは前498年のもの(《ピュティア競技祝勝歌》第10番)と推定され,最後の歌(同8番)は前446年に制作されたと推定される。彼の生涯について知られている種々の事柄は,ほとんどが憶測に過ぎない。アレクサンドリア時代の注釈家の証言によれば,ピンダロスの詩歌集はジャンル別に編集され,その数17巻に及んだが,中でもオリュンピア,ピュティア,ネメア,イストミアの四大競技別に編集された《競技祝勝歌集》4巻が非常に愛読され,古典期以前のギリシア抒情詩人としてはまったく例外的に,現在までほぼ完全な形で伝わるところとなった。これらの歌はホラティウスやクインティリアヌスといった批評眼鋭いローマの審美家たちからも絶賛されたばかりでなく,近代においてもヘルダーリンやドライデンなど数多くの詩人から憧憬にも近い愛情を捧げられた。
彼の詩は難解であるが,その外的な原因の第1は競技祝勝歌というジャンルそのものが比較を絶したものであったこと(同じく祝勝歌を制作した同時代の詩人バッキュリデスの,かなりまとまった詩行が発見されたのは,20世紀に入る直前のことである)であり,第2には古典期に入る直前という,彼の生きた時代の,美意識ないしは思想的背景がほとんど解明されていないことなどが挙げられるであろう。20世紀なかばころから,彼の詩の根本にかかわるいくつかの点が解明されるようになった。すなわち彼の祝勝歌には,勝利者,その一族,そのポリス,その種族の神話・伝説などが歌い込まれるべき要素として存在していたということであり,さらに,祝勝歌全体は,基本的には勝利者と彼にかかわりのある人々および組織の栄誉をたたえる劇的なクライマックス創出のための技巧の複合体であるということである。これらの解明を通じて浮かび上がってくる詩人像は,いわば建築家にも似た創作者の姿である。従来思想史的脈絡でとらえられていた種々の箴言や,黄金,酒盃,神殿,海,船などの映像的喚起力を持った言葉も,また神々や英雄たちに関する断片的言及も,すべてこれをある全体を構築するための要素として計算しつくした上で歌い込まれたものであった。断片をも含む最も優れた校合刊本はB.スネルらによる2冊本。また,おそらく日本語の持っている表現能力から最も遠いこのピンダロスの祝勝歌を日本語へと移す試みは,例えば久保正彰の《ピュティア祝勝歌集》の訳業に見ることができる。
執筆者:安西 真
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古代ギリシア最大の叙情詩人。テーベ近郊のキノスケファライの出身で、家系は古い貴族の門流に属するという。現存する最古の作品が前498年に世に出ているところから、早くからギリシア各地を遍歴して活躍したらしい。その生涯については確実なことはほとんど知られていない。作品は合唱叙情詩のすべての種類にわたっているが、競技祝勝歌(エピニーキア)45編がほぼ完全に伝わっているほかは、大小さまざまな断片が残されているにすぎない。祝勝歌は、汎(はん)ギリシア的祝祭競技(オリンピア、ピティア、イストミア、ネメア)の勝利者のための頌歌(しょうか)である。その構成は、一定のパターンでそれぞれのテーマが技巧的に結び付けられており、韻律は複雑で同じものが二度と用いられない。
詩句は荘重なスタイルでピンダロス独自の絢爛(けんらん)と晦渋(かいじゅう)を極めている。とくに大胆な比喩(ひゆ)やメタファー、また技巧的な配語法などには、一定の型にはまりがちな祝勝歌に万華鏡のように自在な変化を加味するピンダロスの真骨頂が発揮される。祝勝歌に荘重と雄大を強調する傾向はむしろ当然で、詩人の配慮がすべて賞賛へ集中するので、詩人の個人的見解や信念など自らを語る詩句の指摘はむずかしい。しかしピンダロスの詩人としての高い使命感と自信は、「ムーサよ、私に神託をくだし給え。さすれば私が神託を説き明かす者となろう」という詩人とムーサとの根源的な関係が至る所に暗示されていることから明らかであろう。人間の価値を英雄と貴族の古風な徳目にしかみない彼の態度は、そのまま彼の頑迷と孤高を意味するわけではなく、祝勝歌とそれを必要とする社会の要請に応じたにすぎないとも考えられるが、神々への敬虔(けいけん)な態度は真実であろう。「神々と人の子の族は別物だ」と歌い、「人は幻影の夢。されど神の授け給う光がさすとき、人の生は心地よし」と呼びかけるとき、伝統的な人生観の反映とともにピンダロスの深い洞察が認められる。ステシコロス以来の合唱叙情詩は、彼によって最頂点に達したが、その時点で文学史から消えてしまう。
[伊藤照夫]
『呉茂一訳『ギリシア抒情詩選』(岩波文庫)』▽『久保正彰訳『世界名詩集大成1 オリュムピア祝捷歌集』(1960・平凡社)』
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前518~前438
ギリシアの抒情詩人。ボイオティアに生まれる。各地の貴族と交わり,彼らの寵を得て詩作に従った。特に競技勝利歌によって名高く,合唱用抒情詩は彼において発展の極に達したといわれる。
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…古くはホメロス叙事詩も抒情詩や劇作中に含まれている合唱詩なども,等しくこの名で呼ばれ,喜びの歌も哀愁の歌もその呼称に含まれている。文芸ジャンルの分類化が進んだ前4世紀には,主として弦楽器の伴奏で歌われるステシコロス,アルカイオス,サッフォー,アナクレオン,イビュコスなどの初期抒情詩人たちや,ピンダロス,バッキュリデスらの合唱抒情詩人たちの作品がこの名で呼ばれることが多い。いずれも複雑な律格形式を用いた旋舞歌対応形の詩形をもち,神話・伝説を主題とするもの,政治・酒宴を歌うもの,恋の苦しさ・自然の美しさを語るもの,また運動競技の勝利や神々の祝祭をたたえる歌などがあるが,主題に添って神の恩恵や人間の宿命,また生を享けた者すべての抱く深い願望や高遠な理想が語られる。…
…古代ギリシアの競技会,すなわち,オリュンピア,ピュティア,ネメア,イストミア競技での勝利者をたたえて作られた合唱隊用の歌。その作者としては,前6世紀末から前5世紀前半のピンダロス,シモニデス,バッキュリデスが名高い。なかでも,競技者の肉体の美と,詩的言語を操る詩人の矜持(きようじ)とを力強い構成に組み立て,読む者をこの地上から連れ去るピンダロスの歌は,ギリシアの言語感覚の一つの頂点を形づくるものである。…
…オリュンピアの体育競技の祭典やデルフォイ,イストミア,ネメアなどでの同様の催しがにぎわいの頂点にあったのも前500年代のころであり,競技祭における神人一体の勝利の喜びを合唱歌として歌った詩人たちは数多い。中でもバッキュリデス,ピンダロスらの作品は,パピルス巻本や中世写本の形で数多く伝わっている。またこの時代の文学作品として墓碑詩が多く伝存することを忘れてはならない。…
…伴奏楽器としては七絃の竪琴(たてごと)が用いられたと思われるが,合唱隊の人数は明らかではない。その後,合唱詩人がギリシア諸地に輩出し,形式も3連一組の複雑な形が一般化したが,詩的想像の雄渾(ゆうこん)にして華麗なることにかけてはピンダロスの右に出るものはない。前5世紀アテナイの悲劇・喜劇はそのような合唱芸術を母体として発展したといわれているが,現存する演劇作品の中でのコロスの役割は,テーバイの老人とかフェニキアの女たちとか,各々の劇構成が要求する劇中の一群ということになっている。…
…抒情詩を代表するのはアルカイオスと女流詩人サッフォー(ともに前7世紀)で,ついでアナクレオンが出るが,いずれも古くから伝わる独唱歌の様式を踏んでいる。他方,合唱歌の作者としてはシモニデス,ピンダロス(ともに前6世紀から前5世紀)があり,これは公式行事や祭儀で歌われた。前者は碑銘詩の作者としても知られ,後者はオード形式の範とされる。…
…ケオス島の生れ。ほぼ同年齢のピンダロス,叔父で彼に音楽教育をしたシモニデスとともに抒情詩期のギリシア文学史の頂点を形成した。1896年エジプトで発見されたパピルスによって,彼の詩行も,かなりまとまった形で知られるようになった。…
※「ピンダロス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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