ユスティノス(読み)ゆすてぃのす(その他表記)Justinos

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ユスティノス」の意味・わかりやすい解説

ユスティノス
ゆすてぃのす
Justinos
(?―165ころ)

初代キリスト教会の護教家。のちのテルトゥリアヌスによって「哲学者にして殉教者」とよばれた。パレスチナのギリシア系異教徒の出身。ストア派、ペリパトス(逍遙(しょうよう))派、ピタゴラス派などの諸哲学遍歴したのち、プラトニズムに共鳴したが、最後に、エペソスである老人との出会いを機にキリスト教に回心。十字架上のキリストに真の哲学をみいだしたという。各地を教師として回り、ローマで学院を開く。ユニウス・ルスティクスJunius Rusticus(100ころ―170)の治世下、6人の弟子とともに殉教。ストアの種子的ロゴスの説をもとにロゴス=キリスト論を展開し、古典ギリシアの哲学とキリスト教の橋渡しをした。著作に2種の『護教論Apologiaeのほか、『ユダヤ人トリフォンとの対話Dialogus cum Tryphone Judaeoがある。

[谷隆一郎 2015年2月17日]

『W・イェーガー著、野町啓訳『初期キリスト教とパイディア』(1964・筑摩書房)』『アダルベール・アマン著、家入敏光訳『教父たち』(1972・エンデルレ書店)』『J. QuastenPatrology (1966, Spectrum, Utrecht, Antwerp)』『B. AltanerPatrologie (1978, Herder, Freiburg, Basel, Wien)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ユスティノス」の意味・わかりやすい解説

ユスティノス
Justinos
生没年:?-163か167

最も初期のキリスト教護教家。生涯の詳細は不明であるが,サマリア近郊のフラウィア・ネアポリスに生まれ,当時のストア,アリストテレス,ピタゴラス,プラトンの諸学派を順次遍歴後キリスト教に入信。150年ころアントニヌス・ピウス帝治下のローマで教え,マルクス・アウレリウス帝の治下に殉教。多くの著作が伝承されているが,真正のものとしては,当時キリスト教に向けられた無神論,国家に対する不忠といった誹謗が,かつてソクラテスを死に追いこんだと同じ悪霊ども(ダイモネス)の教唆によるものだと主張し,その論駁(ろんばく)を試みた二つの《護教》(《第1・第2アポロギア》),ならびに《哲学者にして殉教者であるユスティノスとユダヤ人トリュフォンとの対話》がある。後者において彼は,真理としての哲学とは神についての知にほかならず,これは原初すでに神によって啓示され,旧約の預言者たちにより告知されたものであって,キリスト教はこの真理の解釈に基づくと述べ,旧約と新約との連続性,ならびにキリスト教のギリシア哲学に対する優越性を展開している。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ユスティノス」の解説

ユスティノス
Justinos

100?~165?

キリスト教の弁証家。サマリアの人。各派の哲学を遍歴,プラトン哲学をへてキリスト教に回心。入信後も哲学者の衣をまとってキリスト教哲学を講じ,ローマで殉教した。『護教論』などの著作がある。

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世界大百科事典(旧版)内のユスティノスの言及

【神学】より

…しかし大学が成立してからは,これらの人々が神学教授となり,近代では専門化が進行して,厳密な意味での神学の専門教授が出現した。 古代東方神学はギリシア的なテオロギアの名称と思惟方法を取り入れてキリスト教を弁証しようとする2世紀のユスティノスらの弁証論者にはじまる。アレクサンドリアのクレメンスのあとをうけてこの方向で最初に体系的な神学を生み出したのは3世紀のオリゲネスである。…

※「ユスティノス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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