日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラッフルズ」の意味・わかりやすい解説
ラッフルズ
らっふるず
Sir Thomas Stamford Raffles
(1781―1826)
イギリスの植民地経営者。ジャマイカに生まれ、1795年ごろイギリス東インド会社に雇員として入社、1800年正社員となった。05年結婚すると同時にイギリスを離れてマレー半島のペナンに赴任し、書記として勤務するかたわら、マレー語、マレー文化の研究に没頭した。11年ナポレオン戦争に際して、会社はオランダ領であったジャワを占領したが、この計画の首唱者であったラッフルズは、このときジャワの副総督に任命され、16年まで在任し、独自の主張に基づく住民保護を目的とした植民政策を実行し、土地改革、行政改革を行い、またジャワ文化の研究を行った。
1816年副総督を辞していったん帰国し、『ジャワ誌』全二巻(1817)を刊行、さらにアジア地域におけるイギリスの植民地支配の確立が必要なことを主張した。17年スマトラのベンクーレンの副総督として再度アジアに赴任し、24年まで在任したが、この間19年に新しい根拠地としてシンガポール島をジョホール王国から獲得し、ここを自由港として経営し、また革新的な内容の政策を実施した。しかし、会社の内部で彼の政策では利益をあげることができないという強い批判を受け、また健康を害したこともあって24年に帰国した。このとき収集した研究材料を船火事のために失った。帰国後政治家を志し、また博物館、学会を創設しようとしたが、26年7月5日脳卒中で急死した。
[生田 滋]
『信夫清三郎著『ラッフルズ伝』(平凡社・東洋文庫)』