AがBに対して10万円の貸金債権をもち,逆にBもAに対して8万円の代金債権をもっているとする。AがBに10万円の返還を請求したときに,BはAに対して8万円の反対債権で対等額について差引きをすると主張すれば,AのBに対する2万円の債権だけが残ることになる。Bは,これだけを支払えば足りる。これを相殺といい,民法上,明文規定で認められている(民法505条以下)。実際の便宜と結果の公平の精神に基づくものである。
このような一方当事者の意思表示だけで相殺をすることが認められるためには,ほぼ次のような要件が必要である(相殺適状)。(1)双方が対立する同種の債権をもちあっていること。通常は,金銭債権である。(2)その債権,債務が相殺を許すものであること。相互に競業しないという債務や労務を提供する債務については,その性質上相殺は許されない。相殺者が相手方に対してもっている債権(自働債権)に相手方の抗弁権(例えば同時履行の抗弁権)が付着している場合も,許されない。これを認めると,相手方は一方的に抗弁権を失うことになるからである。また,当事者間の特約または法律によって相殺が禁止されている場合も相殺は許されない。法律によって相殺が禁止されている例としては,(a)相殺者の負っている債務(相手方のもっている債権。受働債権)が,相殺者の相手方に対する不法行為によって生じた損害賠償債務であるとき(509条)。これは,被害者の現実的救済と不法行為の誘発の防止とを配慮したものである。(b)相殺される相手方のもつ債権が差押禁止債権であるとき(510条)。例えば扶養料,俸給,恩給,扶助料などである。差押禁止は,その権利者に現実の弁済を得させることを目的とするからである。(c)相殺される者のもつ受働債権が第三者によって差し押さえられた後に相殺者が自働債権を取得したものである場合(511条)。差押債権者と相殺者との利害をこの点で調整しようとするものである。(3)双方の債権の弁済期が到来していること。もっとも,相殺される相手方の保護を考慮して,相殺者のもっている(自働)債権は弁済期がきていることを要するが,相手方のもっている(受働)債権は,必ずしも弁済期の到来していることを要しない,と解されている。
以上の要件を具備するときには(相殺適状),相殺者の相手方に対する一方的意思表示で,双方の債権は対等額につき消滅する。そして,それは,相殺時ではなく,相殺適状の生じたときにさかのぼって消滅したものとみなして,双方の債権・債務を清算することになる(506条)。
相殺は,本来このように決済の便宜のために認められた制度であるが,とりわけ金融実務では,貸金債権の回収確保のための担保としての機能をも負わされている。例えば,A銀行がBに対して貸付金債権500万円をもち,BはA銀行に対して定期預金債権200万円をもっているとする。A銀行は,もしBが貸付金の返還をしないときには,この定期預金をとりくずして貸金の弁済の一部にあてることを期待しうる立場にある。ところが,Bに対する別の債権者C,例えばBが国税を滞納した場合の国税庁が滞納処分としてBの定期預金債権を差し押さえ,A銀行に対してその支払を請求したとする。この場合,A銀行は自分の貸付金債権と相殺すると主張して,その支払を拒むことができるか。最高裁は,たとえCの差押えがあっても,A銀行は貸付金債権の期限が到来して相殺適状になるのをまって相殺し,このことを差押債権者に主張できる,とする。また,銀行実務では,定期預金等の差押えがあったときは,それより先に貸付金の期限が当然に到来するものとし,顧客Bは定期預金債権の期限のいかんにかかわらず,ただちに相殺されても異議はない旨の特約を記載した書面を差し入れさせている。最高裁は,この相殺の予約を第三者に対する関係でも有効だと解し,この特約により銀行は定期預金の差押えがあればただちに相殺して差押債権者に対抗することができる,とする(1970年の最高裁判決)。
なお,双方の合意によって二つの債権を消滅させることができるのは,いうまでもない。これを〈相殺契約〉という。これは,両者の納得ずくの話合いによるものであるから,前述した一方的相殺の要件,例えば,同種の対立しあう債権とか,期限の到来とか,法律上の相殺禁止のないこと,などの制限は問題とならない(ただし賃金につき労働基準法17条の制限)。また,債権消滅の時期も,必ずしも遡及させず,両者の契約内容できめることができる。
→相殺権
執筆者:好美 清光
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債務者が自己の債権者に対して自分もまた同種の債権(自働債権という)を有する場合に、その債権と債務(債権者の債権、これを受働債権という)とを対等額において消滅させる一方的意思表示(民法505条)。便宜と公平に利するだけでなく、債権担保の作用をも果たす。たとえば、甲銀行が乙に対して100万円の預金債務を有し、逆に乙に対して甲銀行が50万円の貸付金債権を有している場合に、乙が破産しても、甲銀行は乙に対して50万円につき相殺をすれば、損失を免れることができる。相殺をするための要件は、両方の債権が相殺適状にあること、すなわち、同種の目的を有する2個の対立した債権が存在し、それらが弁済期にあることが必要である。ただし、両方の債権は性質上相殺を許さないものであってはならない(たとえば単純な作為債務、不作為債務など)。相殺の禁止がなされていないことも必要である。したがって相殺禁止の特約がある場合(ただし、これは善意の第三者に対抗できない―民法505条2項但書)および法律に禁止規定がある場合(不法行為上の債務の債務者は相殺をもって債権者に対抗できない―同法509条)には相殺できない。
[淡路剛久]
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