改訂新版 世界大百科事典 「ラボエシー」の意味・わかりやすい解説
ラ・ボエシー
Étienne de La Boétie
生没年:1530-63
フランス中部の町サルラの人。オルレアンで法律を学んだのち,1554年ボルドー最高法院評定官となり,57年同僚として着任したモンテーニュと親交を結ぶ。学識と識見によって令名をうたわれたが流行病で死去。71年詩作品およびクセノフォンとプルタルコスの翻訳がモンテーニュの手で出版される。また《自発的隷従論》は若い時期の作品で,暴君が存在しつづけるのは人民たちがみずから屈従する態度をとるためとするが,これが古代作家から得た材料による一般論か現実の対象を念頭においたものかは論が分かれる。しかし実際には新教徒による国王非難の匿名の文書として74年世に現れたために,モンテーニュは《随想録》のなかで友のために弁明を試み,前者の解釈を強く打ちだしている。
執筆者:荒木 昭太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報