フランスの思想家モンテーニュの著作。1570年ボルドー高等法院参事を辞したあとの後半生を通して執筆された。1580年ボルドーで二巻本として刊行。その後大幅な加筆を行ったうえ、新たに第3巻を執筆し、1588年パリで刊行。その後も死に至るまで加筆訂正が続けられ、死後の1595年新版が出た。現在もっとも信頼される原本は、著者が加筆した手沢(しゅたく)本(「ボルドー本」)であり、現代の各版は直接間接にこれに依拠している。全3巻は独立した107章からなり、ごく初期の短い読書録・訓話集(ルソン)といった体(てい)のものから、やがて主題を広く見込んで自由な展開を楽しむような、独特の形式へと移りゆく。古今の著作家に親しむとともに、政治的・宗教的動乱や日常生活にも題材を求め、扱う内容はほとんど無限であるが、体系的記述はなさず、むしろつねに自己のあり方を中心に据えた考察となっている。序文には、「私が描くのは私自身である」と記されている。
作品中、死の考察にあたってストア主義的論調が表れる(Ⅰ・20など)が、同時に快楽主義的傾向もみられ、それらは、作品を貫く穏やかな懐疑精神によって和らげられる。「レーモン・スボン弁護」(Ⅱ・12)には、古代に源泉をもつ懐疑主義がやや強調されて述べられているが、そこに現れる有名なQue sais-je ?(私は何を知っているのか?)の句は、人間の知的営為に謙虚さを求めるものといえ、この書物の精神を決定している。第3巻では懐疑的傾向をやや弱め、「各人は人間の性状の全き姿を備えている」(Ⅲ・2)といいきることで、人間性を積極的に認める姿勢を示す。「空虚について」(Ⅲ・9)、「経験について」(Ⅲ・13)などの章は、その確信に支えられ、無限定な主題を個性的な文体で展開し、自己と人間、人間と世界との無理のない連接を実現しているようにみえる。ルネサンスの人文主義(ユマニスム)の到達点ともいえるこの作品は、フランス・モラリスト文学の源をなすのみならず、思想・表現の両面で現代的意義を豊かに含んでいる。
[大久保康明]
『関根秀雄訳『モンテーニュ全集1~7 随想録』(1982~83・白水社)』
フランスの思想家,モラリスト,モンテーニュの随想集。人間の性質や行動,事象や事件についての多様な主題による長短さまざまな論考3巻計107章より成る。題名の《エセー》は判断力の試行の結果,自発的な知的実験の報告という意味。著者が自邸の管理と読書の生活にはいった1572年ころから感想記録として綴られはじめ,おいおい自ら取りあげた題材についての積極的な論述となり,第1巻57章,第2巻37章にまとめられて80年に出版された。生と死にたいする克己的な態度の表明,懐疑を導入して人間の思いあがりを打破し,謙虚に真実を探索しようとする試み,自己を分析,描写して他者の考察を誘い人間性一般の認識に導こうとする企てなどが盛られている。イタリア旅行とボルドー市長在任ののちに執筆された第3巻13章を追加し前2巻に多数の補筆訂正を施した新版が88年に出版され,人間の生活を自然と調和したかたちで快適に展開すべきことを説いて清朗な心境を示している。以後92年の死にいたるまでの加筆が施された新版の1冊が今日まで保存されている。人間性尊重の思想をイメージに富む柔軟な文章に盛ったこの作品は,現代でも愛読されている世界の古典のひとつである。
執筆者:荒木 昭太郎
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…その功績は主としてモンテーニュに帰せらるべきであろう。彼の《随想録》(1580,88)は,深く広い思索を,くだけた気ままな文体で,気の向くままに書きとめたかたちをとっており,新しい魅力ある散文芸術様式として後世に大きい影響を及ぼしたからである。パスカルの《パンセ》(1670)は,モンテーニュとはまったく異質の思想を語りながら,《随想録》の影響ぬきには考えられない。…
…オックスフォード大学出身。宮廷に仕え,初期の伊英辞典も編纂したが,モンテーニュの《随想録》を英訳して,《エッセーズ》(1603)として出版した。名訳として世に迎えられ,シェークスピアはじめイギリス・ルネサンスの作家・思想家に,ヒューマニズムの真髄を伝えるのに力があった。…
※「随想録」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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